青山真治監督『ユリイカ』〜他者とどう向き合うのか

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 映画『ユリイカ』(ASIN:B00005V28H)は、バスジャック事件に遭遇して生還したバス運転手(役所広司)と幼い兄妹が、その後、離婚や家庭崩壊をへて、いつしか共同生活を始め、最後には小型バスで旅に出てしまうという物語だ。
 小津フリークとしてはモノトーン画面も、淡々と進む展開も嫌いじゃない。でも3時間37分はちと長い。とりわけ前半はかったるい。
 でも観終わった感想はまんざら悪くなかった。「他者」とどんな関係を築いていくのか。私たち日本人が最も不得手なテーマに対して、青山監督は、ある意味すべてを失った登場人物同士が、新たにつむいでいく絆、という答えを与えていると僕は思う。
 事件後、妻の下にも戻れないダメ男を演じる役所が、ラスト近くでその身を賭して、三十歳近く年下の兄と向き合おうとする場面に、それは凝縮されてもいる。
 ところで、「他人」と「他者」はどう違うのか。いくつかの解釈があると思うけれど、僕は「私」という主語との関係でその違いをとらえたい。
 まず他人は「赤の他人」というぐらいだから、私とは一対多対応の関係。別に無視するならそれができる相手だ。
 一方の他者とは、あくまで自己の反対語であり、私とは一対一対応の関係と考える。場合によっては意見が合わなかったり、たとえ喧嘩しても、ずっと向き合い続けなければいけない相手のこと。たとえば奥さんとかね。
 この映画とのからみで言えば、私たちはどれほどの他者を持っているのか、ということをそのとき僕は考えた。
 それには理由がある。最近、僕に一人の他者ができたからだ。それは中学二年のときから約6年間自宅にひきこもっていた経験をもつK君だ。拙著でも彼との関わり合いは書いているが、偶然、私の紹介したベンチャー企業に、昨年11月に無給見習いと入り込んでしまう。もうすぐ半年を迎えるから、アルバイトに昇格して給料がもらえる段階にまできたらしい。
 昨年末、その23歳の彼が、年賀状代わりに一通のメールをくれた。「今、僕がこの会社にいることを手助けしてくれた皆さんにご恩返ししたいという気持ちです」と、そのメールは書かれていた。僕はグッときてしまった。あやうく泣きそうになった。
 他人の人生の大きな分岐点に、図らずも自分が関わったことを嬉しくと思うと同時に、今までこれほど他人の人生に深く関わったことがあったんだろうか、と考えてしまった。
 ルポライターという仕事柄、多くの人とはお会いするけれど、他者として深くつき合い続けている人はけっして多くない。しかも、その人の人生の分岐点に関わったとなると皆無だ。
 しかも一度の会社員経験もなく、今まで自分のことに必死で、他者と関わる余裕があまりなかった。実はかなり貧しい人間関係しか築けてなかった自分に気がついた。
 ちょうど、そういう出来事があって、まだ間がなかったから、この映画のテーマがそのときの気持ちとシンクロした。
 酒鬼薔薇少年でも、イラクで人質となった3人でもいい。私たちの社会は昔も今も、他者として彼らと向き合わず、ただの異物として排除したり、一方的に糾弾するばかりだ。まさに「出る杭は打つ」でね。そんな他者の存在を許容できない社会だから、私もあなたも今こんなに息苦しいのではないのか。
 あなたには、僕の定義するところの他者と呼びうる人が何人いますか。もし他者が少ないとしたら、それは幸福な人生だと思いますか、そうじゃないと思いますか。