国吉康雄展〜発光する荒涼感のリアリティー(東京国立近代美術館・竹橋)

rosa412004-04-30

 美術館や美術展は、ぼくにとっては裸ん坊になりにいく場所だ。紹介や解説文などは一切読まず、できるなら裸ん坊で絵と向き合いたい。美術館に行くときはそう思っている。そうして生まれてくる直感や、「好きだなぁ」という気持ちを大切にしたいからだ。
 その画家の代表作が何であろうとカンケーない。自分がピピッときた絵があるかないか。それだけがぼくにとって面白いかどうかの基準だ。だって門外漢なんだから。
 でも、それは言葉でいうほど簡単じゃない。なにがしかの断片的な知識や情報によって邪魔されることが多いからだ。だから、つとめて頭を空っぽにして、心と身体で感じることを最優先する。 
 だけど、ぼくにはひとつ癖がある。気に入った絵と出会うと、こういう文章が書けないかなぁとつい考えてしまうこと。国吉展では、1928年に描かれた「ロバのいる風景」という作品がそれだった。
 モチーフはごくありきたりの、文字通り、ロバのいる牧歌的な風景だ。でも、とりわけその地面がとても力強く、流れるような茶色の直線で描かれている。それを補足するように、曇天の雲も急激な天候の変化を示唆していて、地面に建つ小屋の壁もそれに呼応して同じ灰色で描かれている。だから静止画のはずなのに、すごく流動感がある。まるで太平洋を流されていそうな感じだ。
 その両義的な、アンバランスさに、ぼくはグッときた。「こういう文章を書きたい」と思った。悲しいのに可笑しい。静かなのに激しい。繊細なのに強い。重たいはずなのに軽い。すんません、あまりに極私的な楽しみ方で。
 他に印象に残ったこと。1922,23年頃、国吉さんは子どもを描いているが、最近人気の奈良美智さんが描く、恐い子どもたちの原型みたいだ。暗い、怜悧な目や表情の子どもたちに、その時代の空気がこめられている。
 でも国吉展全体を観ると、初期の暗いトーンから、第二次大戦後は、蛍光色のラインマーカーみたいな発光色の作品へと変遷するプロセスが興味深い。とりわけ、蛍光色の衣装姿で、仮面の下の灰色の顔をのぞかせている老人の作品「ミスターエース」が圧巻だ。
 戦後のアメリカ社会といわず、今の日本でもじゅうぶん通用する、上っ面だけはきらびやかに発光する荒涼感のリアリティーだと思う。
 最後に、いくら都財政が苦しいからといっても、入館料1300円は高すぎます!
国吉康雄展(5月16日まで)
http://www.momat.go.jp/Honkan/Kuniyoshi/index.html