『虚業成れりー「呼び屋」神彰の生涯』大島幹雄著〜無残にあらがう方法

虚業成れり―「呼び屋」神彰の生涯
 一昨日、パリから手紙が届いた。投資顧問会社グッドバンカー社長、筑紫みずえさんからだ。いや、日本初のエコファンドの生みの親と書いた方が、「ああ」と思われる方が多いかもしれない。
 エコファンドとは、環境問題へ積極的に取り組む企業銘柄を中心にした投資信託のこと。彼女は4月から約一ヶ月あまりの欧州出張に出かけている。出張先から、星の王子様のマークが入った封筒の中に、同じマークがついた葉書が入っていた。
「日経エコロジー」という環境経営を扱う雑誌の取材でお会いした。その際、彼女から一冊の本をいただき、その代わりに拙著をお送りしたら、「この本に出てくる人たちは、私とあんまり変わらない。そう、社長だって引きこもりたいと声を大にして言いたい」などと書かれた手紙をいただいた。
 少し前置きが長くなったが、筑紫さんから、この本(ASIN:4000225316)のことを聞いた。「私が神さんの最後のガールフレンドかもしれない」、彼女は電話口でそう言った。それまで神彰(じん・あきら)氏のことも知らなかったけれど、呼び屋という語感にひかれたこともあり、「では今度お会いするときまでに、ぼくも読んでおきます」と答えた。
 同書は、まだ旧ソ連との間に国交さえなかったころに、ボリショイバレエ団やボリショイサーカス公演を、あるいはジャズのアートブレイキー公演やピカソの日本展を実現させた男の評伝。しかも作家の故・有吉佐和子との結婚と離婚。そして興行の世界から足を洗った後に、居酒屋チェーン「北の家族」を創業して復活を果たすなど、話題は尽きない。
 映画やテレビドラマにでもなりそうな浮き沈みの激しい劇的な軌跡だが、どうも僕は本の前半から中盤は、残念ながら神本人に感情移入できなかった。
 骨が折れただろう関係者取材はかなり広範囲だし、資料の量もかなり膨大だろうと思われる。事実関係も丁寧に押さえられている。
 しかし肝心の神のイメージが、行間から立ち上がってこない。本人が故人のため、周辺取材から構成せざるをえなかった制約もある。
 だが、「仕事場での彼のエネルギーは凄まじいものがありました」といった関係者のコメントがいくらあっても、それを読者により具体的なイメージとして描かせる場面(シーン)作りがない。その声音、物腰、口調など立体感をもって神彰像を想像しにくい。だから読みすすんでも、いまいちノッてこない。
 いたずらに劇的にする必要はないけれど、筆者はもう少し地の文で神彰像を書き込んだ方がよかったとぼくは思う。
 だが後半、元妻・有吉への神の追悼文や、元妻が亡くなってから実現した娘との再会話はかなり哀切で、グッときた。癌との闘いに明け暮れ、最後は鎌倉山のマンションの一室で、延命治療を拒み、一人静かに死を待った最後は無残でありながら、どこか清冽さをたたえてもいる。
 神本人も、そしてその仲間たちの多くが、ある意味、報われない無残な死に方をしている。いや、つまるところ、死も生も無残なものでしかない、といった方が的確だ。
 ぼくも40歳。たぶん、これからおびただしい無残なものと向き合うことになる。神にとって、それにあらがう唯一の方法は、「まだ誰も見たことがない公演」を実現すること、同書で語られる「幻」を追いかけることだった。ぼくは、労をいとわず靴底をすり減らして多くの人に会い、文章という自分なりの花を咲かせることに、時間を費やしたい。