白洲正子著『いまなぜ青山二郎なのか』(新潮文庫)〜「死に様」という作品

いまなぜ青山二郎なのか (新潮文庫) 
 今日の午前中、NHKのハイビジョン放送で、あるフランス人夫婦の船旅を追うドキュメンタリー番組を観た。夫の定年を機に、寝室と客室付きの船を買い、パリからオランダのアムステルダムまで、約一月かけて、時速8キロで川下りの旅を楽しむという。最初の方はあまり観ていなかったのでわからないのだが、どうも長期ヴァカンスではなく、終の棲家として船を買ったらしかった。
 老人ホームで何不自由なくボケていくことや、病院のベッドの上で無数のチューブにつながれて生きながらえること、あるいはせっせとグルメと海外旅行を満喫する選択のいずれも、彼ら夫婦はいさぎよく拒んだ。
 人生を残り20年と定め、夫婦二人で力を合わせて暮らさなければいけない、逃げの許されない死に場所として船を選んだことになる。
 白洲さんがこの本の中で描いた、骨董家として有名な青山二郎の死に様も見事だ。その晩年、長年に及んだ評論家・小林秀雄と和解した後、志賀高原のもみじ(実際にはそれは白樺林の黄葉で、その中の一本が、一日のうちの落日のある時間帯だけ、この世のものとも思えぬ色に染まる瞬間を、彼は発見していたらしい)を観に、青山は一人で出かけたという。
 あの白洲さんをして、「美を生きた人」と呼ばれる男だから、とびきり美しい風景だったにちがいない。しかも青山は宿泊先から、仲直りしたばかりの小林秀雄に、電話で夕陽見物を誘い、原稿が忙しいからと断られてもいる。その滞在中に体調を崩し、結局は帰京してまもなく他界する。
 奥さんが、体調を崩した青山がいた宿泊先に駆けつけると、部屋には足の踏み場もないほど骨董が並んでいた。それはどれもガラクタばかりで、持参した大金を、青山はそれらに使い果たし、そのガラクタのひとつひとつには「承知」と書かれた紙が貼ってあったという。その話を未亡人から聞いた白洲はこう結んでいる。

骨董界という地獄は、一度堕ちたらたとえつまらぬものでも買わずにはいられなくなるもので、そこまで行けば真物だ。ジィちゃんは真物の中の真物として死んだのである。小林さんも、それから四年後に亡くなった。来年の秋、もし生きていたら、志賀高原の白樺林を私は見に行きたい

 青山の死に様はもちろん、それをしかと受けとめた白洲の文章も見事だ。その結文にはひとかけらの隙もない。
 本を読みすすめながら、すでにぼくは、これから折に触れて何度も読み直さなければ、と思っていた。たとえば50歳と60歳では、それぞれ味わいが異なるにちがいない一冊だから。
 しかし、こう書くのは思わせぶりな教養主義を振りまくのが目的ではない。今のぼくには読みきれない、ぼくのチンピラみたいな読解力では、この本が描く青山二郎には少しも歯が立たないから。それは降参の白旗だ。
 青山に反吐をはくほど鍛えられたという、最後の愛弟子、白洲さんが彼を観る眼力も凄まじい。
洲之内徹さんが、『装幀もする青山二郎』といみじくも評したように、文章も書く、絵も描く青山二郎であり、彼の人生そのものが余技であった。そういう難しいところに我と我身を追いこんで行った。『強い精神は、容易な事を嫌ふからだ』という小林さんの言葉を思い出させる。」
 先の一文とこれを読めば一目瞭然だ。
 もう、その白洲さんさえ鬼籍に入られた。人間の精神のあり方をレントゲン写真なみにむさぼってしまう眼力の前に、一度でいいから、ぼくはこの身をさらして、ずたずたに切り刻まれてみたかった。
補記)
白洲正子著『いまなぜ青山二郎なのか』
ASIN:410137905X
左アンテナの松岡正剛氏のwebにある青山論は興味深い。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0262.html