ふたたび『いまなぜ青山二郎なのか』について

rosa412004-05-16

まず2日前の話を読んでほしい。(id:rosa41:20040514)
この本にはサイド・ストーリーがある。それは冒頭で白洲さんも書いているのだけれど、編集者、小島千加子の存在だ。
 毎年、夏の終わりごろ、軽井沢にある白洲の別荘を、5、6年、年に一度いつも同じ時刻に、チーズケーキを持ってくる女性編集者がいたという。それが小島さんだ。別に原稿を催促するでも、無理強いするのでもなく、しまいには青山さんのアの字すらいわなくなりながらも、その夏の終わりの訪問は続いた。
 七年目の夏、白洲さんは軽井沢へ行かなかったので、やれやれと思っていると、秋ごろ、今度は白洲さんの自宅にきて、小島さんは「定年になりましたので、新潮社を止します。長い間お世話になりました」と白洲を一瞬安心させた後、「つきましては、やりかけた仕事だけはなしとげたいと思いまして」と告げている。
 その際の白洲の文章がいい。
「私は大げさではなく、かくし持ったる白刃の刃を突きつけられた感じがした」と彼女は書いている。突きつけられたと感じた方もさすがだが、年に一度の訪問を7年つづけて、それを突きつけた小島さんも凄まじい。そこまでの情熱と使命感をもって仕事をしている人間は今、この世の中にいったい何人いるだろう。
 また、本の解説で、小島さんはこう書いている。

白洲さんが他ならぬ青山二郎の愛弟子と知った時、さては積年の連載の士、と好奇心を揺さぶられた。ただし、物には順序、時節がある。本書冒頭に説明されているように小島喜久江(筆者の本名)が白洲さんと七夕の如き接し方をしたのは、小林(秀雄、荒川注)家と白洲家とのご縁を弁えた上でのことで、それ故にいっそう白洲さんに書いて頂きたいという願望が強かったからである。

 定年をはさみ、「物には順序、時節がある」と、年に一度ずつ7年間の訪問を続けた、小島さんの狂おしい情熱をもってして初めて、この本は生まれた。その時点で半分、この本はできていたと言ってもいい。
 ドッグイヤーとかマウス・イヤーと騒いで、スピードこそが進化であるかのように、盛んに得意がっているN新聞が聞けば、ただただ呆れて顎の骨が外れてしまうにちがいない。
 また、その解説の中で、小島さんはこんなエピソードも明かしている。

ジィちゃん(青山二郎、荒川注)は、その先入観をなくし、裸の目で見ることを教えた。けなしたり、馬鹿にしたり、江戸前の地口と辛辣な比喩の総まくりで、言われた方はずたずたに傷めつけられる。ために白洲さんは、三度も胃潰瘍になって血を吐いた。

 何かを学び取るために、三度も胃潰瘍になるほど傷めつけられることを厭わない白洲さんの精神も、N新聞にはきっと理解できない。彼らはこう言うに違いない、「それは極めて非効率だから、せめて胃潰瘍にかかるのは一度にすべきだった」と。
 しかし、青山や白洲や小島みたいな人たちが昭和という時代には確かにいたことは、この本に記録されるように、できる限り多くの人に記憶されるべきだとぼくは思う。
 白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』(新潮文庫
(ASIN:410137905X)
の裏表紙を見ると、平成11年3月に発行され、まだ三刷りでしかない。一方、ヴィトンのバッグ並みの人気本『バカの壁』は240万部も売れているときく。
 N新聞なら、きっと。