地村さん、蓮池さんの家族帰国

rosa412004-05-22

夜九時すぎから、しばらくテレビばかり観ていた。そうして同じ映像とコメントばかりを反復するテレビを観ながら、ぼくはあることを思い出していた。
 ちょうど21歳から22歳の一年間、ぼくは韓国ソウル市にある延世大学の韓国語学堂で韓国語を学んだ。1985年から86年の間で、韓国で初めてのアジア大会開催前に帰国した。韓国にいた頃、教育って恐いなぁと痛感させられたことがある。
 それは共同生活していた、同じ歳の延世大学の学生の一人が見せてくれた、韓国の小学校一年生の、確か道徳の教科書だった。
 まず、いかにも貧しくて照明さえ満足でない家に住む、沈鬱な表情の家族たちの絵があり、その隣ページに「北の人たちに、こんな貧しい生活をさせているのは誰ですか?」という設問が書かれてあった。
 あるいは、水車小屋の水車の小型版みたいな輪っかの中で、走りながらその輪っかを懸命にぐるぐる回しているネズミの絵があり、
「満足な水や食料も与えられず、北の人たちをこのネズミみたいに働きづめにさせているのは誰ですか?」という設問が、同じように添えられていた。それが小学校一年生向けの、韓国における反共教育だった。
 しかし、その教科書をぼくは笑い飛ばせなかった。ヒデェなぁと批判もできなかった。程度の差こそあれ、それが他人事じゃなかったからだ。
 ぼくは子どもの頃、豊臣秀吉が好きだった。百姓出身の足軽から、その気働きと創意工夫と努力で、日本のリーダーにまで上り詰めた秀吉は、幼いぼくのヒーローだった。小学校3年生のときに、何かのアンケートで、「尊敬する人物」の欄に「豊臣秀吉」と、その枠線をはみ出しそうなほど大きく書いたことがある子どもだった。
 しかし韓国では、秀吉は自分の国を侵略しようとした、憎きダーティー・ヒーローだった。その秀吉を迎え撃ち、侵略の魔手から国を守ったチョン・ユシンという海軍大将こそが、韓国のヒーローだった。また、伊藤博文を暗殺したアン・ジュングンこそがヒーローだった。
 その事実を知ったとき、社会や歴史が好きだった自分の常識がグラグラと揺れた。自分は今までいったい何を学んできたのか、と不安でたまらなくなった。情けなかったし、やり場のない憤りすら感じた。
 国語と社会が好きで、それらの成績も良かったぼくにとって、それは片翼をもがれるような衝撃だった。脆弱で一方的な歴史教育は今なお続いているから、一面的な秀吉観を持っている人は日々量産され続けている。北朝鮮は確かに奇異な国だが、ぼくやあなたの常識だって、たいしてアテにならない。
 また、留学時代のぼくにとって、それは昔の話では片付けられなかった。留学中のある日、延世大学にいると、学生たちのデモの準備が始まった。だが85、86年当時は、韓国の学生運動もかなり下火になっていて、その集団は二○人にも満たない集団だった。
 一方、デモが始まる前に大学を出ようと、足早に校門に向かう学生たちの方が圧倒的な大多数だった。次々と校舎から現れ、彼らは正門へと急いでいた。
 なぜなら、校門の外では警察が催涙ガスを準備して、デモ隊を待ち構えており、デモ隊が学外に出ようとすると、催涙ガスを発射して阻止するからだ。催涙ガスを吸うと、目から涙が出て止まらなくなり、鼻の奥がヒリヒリ痛くてなるから、学生たちは一刻も早く出たかったのだ。
 しかし翌日の朝日新聞を見ると、火炎瓶を投げる一人の学生の大きな写真と、「延世大学で学生デモ 警察が催涙ガスで応酬」との見出しが躍っていた。それは目の前でぼくが見た現実の、あまりに強引なトリミングだった。
 当時の日本の韓国報道といえば、野党の顔だった金大中や金泳三(いずれもその後、大統領に)らの民主化闘争と、学生デモの二点セットだった。ぺ様ファン・クラブや、日本のアイドル・グループの一人が韓国語の歌を歌うなんて、想像すらできなかった。今から約20年前の話だ。 
 つまり、歴史も韓国の政治報道も、嘘とは言わないまでも、ぼくは半分の真実しか伝えられていなかった。そういう一面的な情報によって、ぼくの秀吉観も伊藤博文観も、そして韓国観も作られていた。
 たとえば、その朝日新聞のデモ報道ひとつ取り上げても、ビビンパの中の牛肉をつまみ上げて、「これはビビンバですよ!」と叫べば、ビビンバとは牛丼みたいなものなんだと、大方の日本人はそう勘違いしたに違いない。そのデモの現実と報道のギャップを見て、ぼくはそう思った。
「これじゃあ、まるで昔、ドリフターズの『全員集合』の寸劇で使われていた、舞台セットみたいなもんやんけ」と。
 で、ぼくは何を言いたいのか。羽田空港に降り立った拉致被害者の家族たちは今後、ぼくなんて比べ物にならないぐらいのカルチャーショックに悩み、苦しむに違いない。もちろん、言葉や生活習慣への戸惑いも大きいだろうが、かの地で培った常識や人生観、知識はどれも使い物にならなくなる。それは言語や生活習慣の違い以上に、人格を否定されるほどの衝撃だろう。
 その一方、好意や親切、同情や温かい眼差しと同じか、それ以上の、陰湿ないじめや、容赦ないマスコミ報道や、好奇や妬み、貪婪な視線をあびるに違いない。彼らの目に、「北朝鮮にくらべれば、はるかに自由で豊かな国」の現実はどう映るのか。試されるのはぼくやあなたと、この社会だ。