太田哲也さん講演会(鳥取県民文化会館)〜必要とされている情報やコミュニケーションが視えにくくなる医療現場

rosa412004-05-30


 早朝4時起きで羽田から鳥取へ行き、日帰りしてきた。鳥取市立病院の職員ら約160名を対象にした、元レーサー太田哲也さんの講演会取材だった。
 太田さんの話は、全身の約40%におよぶ大火傷という重度熱傷での入院と、そのリハビリ体験が中心だった。かつて患者だった自分と看護士(婦)さんとの具体的なやりとりを中心に、太田さんは身体と心が傷んだ側の本音を淡々と語った。
 入院一年後までまぶたを縫い閉じられていて、身体の自由もきかず、幼児化した自分が、優しい看護婦さんには子どもみたいに甘え、厳しい看護婦さんを毛嫌いしたこと。
 目が見えるようになって、変わり果てた自分の身体を見て、次第に生きることへの絶望感が増してきたこと。そして投身自殺を思い立ち屋上に上ってしまったこと。その後、「治ったら、私とエッチしましょう」と看護婦さんにいわれて、モノではなく男として見られていると感じて、とても嬉しかったこと。
 時に笑いを誘いながら、淡々とした彼の語り口に、聴衆はどんどん引き込まれていった。
 だが淡々と語るほどに、男性でも人間でもなく、自分がモノ化していると思っていた、当時の彼の絶望の深さが浮きぼりになる。それが彼の話がもつ、千人力(せんにんりき)の説得力だ。
 講演を聴き終えた女性はこう言った。
「私たちは、一日でも早く社会復帰してもらうために、極力、患者さんには厳しく接しているんです。でも今日の太田さんの講演を聴いて、もしかしたら、そんな自分がとても毛嫌いされていたかもしれないと反省しました。そういう画一的ではなくて、患者さんの精神状態や病状などに応じて、より細かい対応が必要だと痛感させられました」
 けれど、ぼくがこの日もっとも印象的だったのは、その女性の次の言葉だった。
「日々の仕事の中で、悩むことって多いんです。患者さんに『ありがとう』といわれても、この人は本当に心の底からそう思ってくれているんだろうかとか、患者さんへの自分の熱意や想いは、いったいどこまで伝えられているんだろうかって、そう思うと、すごく自信がなくて・・・」
 身体と心を傷んでいる人と日々向き合っている、看護士の人たちは、ぼくなんか比べ物にならないくらい透徹した、人間への洞察力をもっている。漠然とだが、ぼくはそう思いこんでいた。錯覚だった。患者さんとの向き合うことに疲れ果てて辞めていく人も多いとも聞く。
 医療の現場で、身体と心に傷を負った人たちと向き合う仕事で、彼らとのコミュニケーションに自信が持てないとなると、多大なストレスを感じることになる。
 情報化社会が進めば進むほど、本当に必要な情報やコミュニケーションはむしろ視えにくくなる。そんな逆説は、報道だけでなく、医療現場でも同じだ。
●「がんばれ!太田哲也」web
左アンテナからアクセスして下さい。