ヌースフィア第1回フランス料理教室〜普段使わない心と身体の筋肉を動かした気持ちよさ

rosa412004-06-06

 田町駅すぐ、オーガニックカフェ&ダイニン「ヌースフィア」の料理教室だ。生徒は9名。ぼくは”黒一点”、店のオーナーMLに、「オジサンの仏料理ドタバタ入門日記」を書くために参加した。いやぁ〜学びあり、旨みあり、失敗ありで楽しかったよぉ〜!
 本日の三品は、夏サーモンの瞬間マリネのカルパッチョ・オレンジの芳香。イサキのゲッパーのソースプロヴァンス。そしてデザートはココナッツのブランマンジェ
まず各自持参した包丁を中砥石でとぎ、続いて仕上げ砥石でとぐ。大平史人(おおだいら・ふみと)シェフによると、毎朝、包丁とぎから精神集中して、調理の心を整えていくという。なんかカッチョイイ〜!
 今回一番難しかったのは、やはり魚の三枚おろし。鱗とりを終えて、エラ後方の横びれあたりから包丁を入れなければいけないのに、エラから入れてしまい、注意1回。同じように両側から包丁を入れ、頭と身を折るようにすると、きれいに取れた。やったぜ。 
 次におろし作業だ。片側は割ときれいに包丁が入って切れたのだが、残りが難しかった。これは包丁を入れつつ、身を開けて確認しながら切っていけばいいのに、ぞんざいに切るとギザギザに切れてしまう。つまり骨に点々と身が残ってしまった。また失敗!まっ、焼いてソースかけりゃわかんないからいいか。
 切った身に小麦粉をまぶし、片側焼きにする。シェフによると新鮮な魚は、火の扱い方さえマスターすれば、片側だけ焼くと焦げすぎず、身側の色の変化で火の通りがわかるから簡単らしい。今回焼きはシェフが担当。骨あたりまで身が白くなった時点で、一度ひっくり返して皿に盛る。あとは余熱で骨まで火が通るらしい。皮側も確かにほどよくパリパリに焦げていて美味しそう。これにバルサミコソースにトマト、ゲッパー、ニンニクのみじん切り、バターなどをいれたソースを煮込み、焼いた魚にかけていく。けっこうニンニクとバターが濃厚だが、トマトの酸味がほどよくバランスをとって、濃くはあっても、しつこくないソースができた。
 ちなみに、上の写真は、バルサミコソースを煮込んで冷蔵庫で固めたものを、シェフから任されて、ぼくがペインティングしたひと皿。仏料理で「ドレッセー」というらしい。
この絵心、わかってもらえる?後付けタイトルは「天翔けるイサキ」。実はこのソースお絵描きがやりたかったんだなぁ(^@^)。
 皮はカリッと、内側の身はジューシーなイサキと、ソースの相性が抜群な一品となった。ヤッホー!天然酵母のルヴァンのパンとの相性ももちろん良し。きりりと冷えた白ワインでアクセントをつけながら、ゴージャスにいただいた。
後は、夏サーモンの瞬間マリネのカルパッチョで、サーモンとオレンジ果肉とバルサミコソース(白ワインビネガー・ハチミツ・塩・コショー)の相性の良さにもビックリ。
 ココナッツのブランマンジェも、ほのかなココナッツミルク味が生クリーム生地と合い、お口直しにふさわしい、少々季節外れだが、ほのかな甘み芳しい春風のような一品だった。
 包丁研ぎ、魚の鱗とり、素材の仕込み、ソース作りまでやって初めて、一皿にこめられた時間と労力、要は料理人の仕事の全体像が見えてくる。料理は残さず、きれいに食べなければいけない。そんな当たり前のことを痛感させられる。同時に新鮮なイサキさん、たいへん美味しゅうございました、という感謝の気持ちが生まれる。
 最後に、耳に残った、ヌースの大平シェフ語録をご紹介したい。
「毎朝の天候や気温、店の前の通る人の顔つきを見ながら、味付けを考えるようにしています。疲れると、人は濃い味がほしくなるからです、もちろん、個人差はありますけど、通行人を見ていると、その日のトーンみたいなものをなんとなく感じるんです。あるいは湿気の多い日は酸味の多いものが食べたくなるとかですね」
「カウンター式の寿司屋でも、ベテランになれば、前に座ったお客さんが何を注文するかは、顔つきなどを見れば、たいてい想像がつくっていいますから」
「肉の繊維に逆らって切ると、その繊維から肉汁が出てきます。だから最初にそこさえきちんと焼いてしまえば、肉汁をそのまま閉じ込められるから、美味しく食べてもらえるんですよ」
タイユバン・ロブションで働いていた頃は、ニンジンを1センチの正方形に切るとき、0.1ミリでも多いと捨てさせられました。最初の頃は定規で測られましたから。そのうち目分量できっちり1センチがわかるようになる」
 食にかかわる人の言葉は耳慣れないせいか、と〜ても興味深い。ロジックとフィーリングの融合、それって日々一期一会ってことでしょ。
「○○の○○料理って美味しい」って、ぼくもよくしたり顔で言うけど、これって味を固定的なものとして見ていて、そのライブ感までは受け止めて切れていないことなんだと、遅ればせながら気づかされました。