岡崎京子著『ヘルタースケルター』〜猛獣と猛獣使いの両方を抱きしめて

ヘルタースケルター (Feelコミックス) 
以前、ある女性タレントを取材したことがある。男性の人気は高いけれど、女性からは敵視されがちなタイプだ。場所は、芸能人ご用達の病院の待合室。前髪を下ろしたその額には2本の細い皺が走り、化粧っ気のない彼女はかなり疲れていて、顔にもまるで艶がなかった。待合室の電灯が少々暗かったせいもあるが、当時は20代後半だったけれど、目の前の彼女は30代後半にも見えた。ブラウン管を通してみる彼女とは別人みたいだった。
 しかしプロとしてはとてもよく訓練されていて、化粧っ気のない顔で、とても気さくかつ丁寧に、ぼくの質問に答えてくれた。だから、そのときの印象はけっして悪くない。しかし、ひどい言い方になるけれど、夜に輝くネオンサインが、何かの拍子に昼間灯されたかのような、どこか間が抜けたような印象をぬぐえなかった。
 彼女の後に、もう一人、女性ファッション誌で活躍するモデルの子にも会って話を聞いた。スタジオでの長い拘束時間。早朝から深夜まで時間が不規則な写真撮影と、満足に食事もとれないままカメラの前で、着せ替え人形みたいに最新モードに身をつつみ、作り笑顔をうかべる彼女の仕事ぶりを聞いた。まだ20代前半の彼女でさえ、疲れがたまると、この病院に来て特殊な栄養剤を打ってもらうという。すると肌の艶や化粧のノリが全然違うらしい。それが大衆の一方的な幻想を生きなければならない、華やかな人気商売の舞台裏だった。
 昨年単行本化され、先日、手塚治虫漫画賞に輝いた岡崎京子『へルタースケルター』(ISBN:4396762976)を読み終えて、そんな出来事をふと思い出した。
「あのコはいい骨をしてた デブででかくてとんでもない 
 おかちめんこだったけど・・・」

「皮をはぎ、脂をとかし、肉をそぎ肉を詰め 
歯を抜き あばら骨をけずってつくった娘」

 全身整形のスーパー女性モデルが、人気絶頂時に、皮膚が所々破れ、ひどい頭痛に苦しめられ、大企業の御曹司にも逃げら、その全身整形も暴かれて、心身ともに傷つき堕ちていく物語だ。96年に終了した連載漫画らしいが、そのオーソドックスさゆえか全然古く感じない。むしろ、際限なき人間の欲望の醜さや痛々しさがあふれている今だからこそ、その愛くるしさはより一層輝くというべきか。だって要は『平家物語』じゃんか。
 そのせいか、周囲のスタッフに対して女王様のごとく傍若無人にふるまう彼女が、なぜか憎めない。そんな主人公の人物造形は、さすが岡崎さん。あるいは、それが誰もが夢見る究極の欲望のカタチだから、私たちはその主人公に冷徹になりきれないのかもしれない。
 マスコミの前で、ピストル自殺を企てる主人公に、ある登場人物はこう告げる。
「そんなサービスをしても皆さんにはむだだ 15分もたてば忘れられてしまう 人は愛するものの死しかいたみはしない 人はかんたんにTVや雑誌の中の人間なんて愛しやしないよ」
 大衆がはらむ欲望の獰猛さと分別の無さをしかと言い当てている。そして金銭、成功、名誉、セックス、支配と隷属、それらの欲望はどれも一歩踏み外せば、時限爆弾みたいにぼくを吹き飛ばさずにはおかない。程度の差こそあれ、誰もがそんな猛獣と猛獣使いの両方を抱きしめながら、日々を生きている。いつ、誰がその穴ぼこに堕ちたとしても、少しも不思議じゃない。はちきれんばかりに膨らみ脂ぎった欲望の顛末は、ぼくやあなたが支える「大衆」にとって、いつもヨダレダラダラの標的だ。ちなみに「へルタースケルター」とは、あわてふためくこと、混乱。最後に、一日も早い岡崎さんの職場復帰を祈る。
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