『櫻よ「花見の作法」から「木のこころ」まで』佐野藤右衛門著 聞き書き小田豊二(集英社文庫)

桜よ―「花見の作法」から「木のこころ」まで (集英社文庫)
 自分がどれほど物事を知らないのか。他人(ひと)に話を聞くことを仕事にしていると、時折、それを嫌というほど痛感させられる。いや知識だけではない。見ること、食べること、聞くこと、話すこと。正確にいえば、そのどれもが僕は曖昧で、実にいい加減だ。
 そんなヤツがまだ読みかけの本だけれど、ネタもないので、この『櫻よ』(ASIN:4087476693)の面白い部分を少し書く。
 桜守とは、全国各地にある桜の健康状態を診て、悪いところを治す桜のお医者さんのこと。その一人である佐野藤右衛門(さの・とうえもん)さんは、京都・円山公園の枝垂れ桜をはじめ、国内の桜を看る一方で、彫刻家の故イサム・ノグチに請われて、海外の庭園作りを手がけてもいる。そんな彼の話を聞き書きしてまとめた一冊だ。
 佐野さんによると、全国の櫻の八○%が染井吉野だという。櫻そのものの種類は三○○種類ほどあるというのにだ。しかもその染井吉野の出自が興味深い。どうやら、バッタもん(ニセモノ)らしいんだな、これが。
 彼によると、明治初期、東京の染井墓地近くの植木屋が「奈良の吉野山から採ってきた」と言って売り出した。本当は伊豆あたりの大島桜と、江戸彼岸桜が天然交配して生まれた突然変異。だが吉野とは縁もゆかりもないので、染井吉野という名前を後でつけられたんだって。
 ではなぜ、この染井吉野が、三○○種類ある桜の中で、唯一全国に広がったのか。それはこれが接ぎ木がしやすく、成長がもの凄く早い。さらにどこで植えても同じように咲く便利な桜だったから。つまり、クローン。あるいは、桜の”ハンバーガー”みたいな存在。本来、桜というのは実にナイーブな植物で、いかに立派な桜でも、人間の都合で植え替えると、数年後には死んでしまうものらしい。
 クローン羊や遺伝子組み換え食品や気味悪がっても、僕やあなたはクローン桜にはまるで無頓着で、桜に大騒ぎする割には、およそ三○○種あるうちの染井吉野と枝垂れ桜ほどしか知らなかったりする。桜を愛しているようでいて、実は桜そのものについては無知、無関心。うーん、まるで我が家以外の夫婦関係の隠喩みたい(^^;)。
 いやいや、そういう生活感あふれる話ではなく、日本人にとって最も身近な桜についてすら、僕の知識はその程度だという話に引き戻しておきたい。知っているようで何も知らず、見ているようで何も見ていない。染井吉野は、それを見事に映し出す合わせ鏡だったりする。
 だがそんな便利な桜にも弱点はあって、人工に増殖させられた桜だから人間が世話をしないとすぐ枯れてしまう。以前は寿命100年といわれていたが、最近は50年という話もあるらしい。脆弱なのだ。種がないから子供が生まれるということもない。一方、山桜はもともと自分が育ちやすい場所を選んで咲いているから、自分で周りの環境を調整して勝手に咲く。人間の世話など必要としない。
 ここまでくると、今度は一世代で陳腐化する鉄筋コンクリートのマンション問題や、あるいは”飽食”や”一億総グルメ”といわれる一方で、狂牛病や生鮮食品の虚偽表示問題ですぐにパニックになるひ弱な都市生活者みたいな話にも聞こえてくる。
 そして佐野さんはこう語る。

一本一本の桜にはその土地と切り離せない「物語」があるんやと思います。ただし、残念なことに、何度も言うけど、染井吉野はクローンやさけ、それがないというわけです。「物語」のない桜を、あんたらは花見しているんやから、あんたらにもまた「物語」がないということやな。


●佐野藤右衛門の本
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