弱り果てた夜の蝉

rosa412004-08-12

 最初はネズミかと思った。深夜、ベランダに面したリビングで本を読んでいたら、窓の向こうの暗がりでガサッと物音がした。しばらくすると、同じ物音にまじって、チュウといった悲鳴みたいな鳴き声を聞いた気がしたからだ。一番明るい照明にして、リビングの窓越しにベランダを見回してみた。だが何も見えない。
 またソファに戻り、本を読み始めた。しばらくすると、今度はコツンと窓ガラスに何かが当たる音がした。本を閉じ、その音がした辺りに目を凝らすと、一匹の油蝉が、いかにも重たそうな身体を引きずるように前進していた。どこへ行くのかと思うと、まるで木の幹と勘違いしたのか、ベランダにある楕円形の高さ25㎝ほどのプランターにしがみついた。木の樹脂でも吸うつもりなのだろうか。
 ふいに一昨日の午前中、ベランダ裏の小道を一本隔てた二階建ての民家の隣に立つ電信柱で、突然、ジィージィーとけたたましく油蝉が鳴いていたことが思い出された。あれが最後のひと鳴きで、その電信柱から最も近い、うちのベランダにあの蝉が落っこちたのかもしれない。

 
 少し迷ったが、いたたまれなくなった僕は、弱り果てた油蝉に砂糖水でもあげようと、ジャムの空き瓶のフタに砂糖水を作った。それを死んだようにプランターに、しかも縦ではなく、横向きにしがみついている蝉の目の前においてあげた。すると、蝉は同じ姿勢で少しも動かなくなった。5分ほどじっと見ていたのだけれど、固まったように動かない。
 どうせなら、手でつかんで、砂糖水の入ったフタに蝉を入れてやろうかとも一瞬考えた。だが情けない話、近づきつつある死に触れるのが、恐かった。その手触りが明日以降、僕の手や心が忘れなくなりそうな気がしたからだ。
 もしかしたら死んだのかもしれない、そう思った矢先に、再び、プランターを横向きに前進し始めた。僕がおいた直径6㎝ほどのフタの砂糖水には少しも見向きもせず、その右隣を通り抜け、へばりつき匍匐(ほふく)前進を続けてから少し跳んで、ベランダの闇に消えていった。
 行き先などあるはずもない。それなのに、本能が身体をつき動かさずにはおかないのだろうか。僕があの蝉だったら、どうするだろうか。静かにじっとして意識がなくなるのを待つか、目的もないまま、残った力のすべてを使い果たそうととにかく動き回るのか。よくわからない。
 とりあえず僕は急いで窓を開けて、さっき置いたフタを取り戻し、台所へもって行き、砂糖水を台所に流してから、再びベランダ側にもどって、あの蝉にさっと両手を合わせた。

 
 あれはまだ小学校三、四年生ぐらいの頃だ。夜に目が覚めると、なぜか部屋にはいつも、僕をはさんで川の字になって寝ている父と母がいない夜があった。たぶん、夏だった気がする。僕のちょうど頭の上に、照明があって、二本の円い蛍光灯は消えていて、その蛍光灯の内側にある豆電球2つだけがオレンジ色の光を放ち、部屋全体を暗いオレンジ色に染めていた。物音しない静かな夜だった。
 僕はそのとき不意に、
「死んだら、僕はどうなるんだろう?」
 と思った。そのときの映像はぼんやりとながら、今もなお僕の頭の中に残っている。
 死んだらご飯も食べられないし、大好きなジュースもアイスクリームも食べられないし、笑ったり走ったりもできない。そうなったら、いったい、僕はどうなっちゃうんだろうか。そこまで考え進めたら、声をあげて泣きたいくらいに恐くなった。誰もいない部屋で、一気に心細くなった僕が、それから声をあげて泣いたのか、あるいはそのまま寝てしまったのかは、残念ながら記憶がない。
 コップに水が満ちるように、死の水かさがゆっくりとだが確実に増していく自分の身体をひきずりながら、あてもなくさまよう夜の蝉を見て、そんな同じ夏の夜の出来事が鮮やかによみがえった。翌朝、ベランダを探してみたが、あの蝉の姿は見つけられなかった。