横浜美術館「ノンセクト・ラジカル〜現代の写真Ⅲ」

 露口啓二と米田知子の作品が印象に残った。
 露口さんは、北海道各地で、一度撮影した風景を後日再訪して、以前撮影した場所の左隣か右隣を撮影して、それを二枚一組でつなげて展示していた。着想が面白い。同じ場所であるという共通点と、違う日時だという相違点が、二枚の写真の間に、いい緊張関係を作っている感じがした。これは文章でも使えると、我田引水してしまう俺がいる(^^;)。
 たとえば、右側の写真は根雪があるのに、左側のは草が青々と生い茂っていたりする。でもそこは同じ場所だ。しかし子供の頃の写真と、大人になってからの写真が<時系列に>並んでいるのとは違う、妙なアンバランス感覚がある。その崩れそうで崩れない微妙なバランスが、観るものに予定調和ではない何かを感じさせる。
 一方、米田知子は、イスラエルや韓国などの国境、狙撃者の場所から見える町並みなどを1m×1mのカラープリントで展示。地雷原が埋められたサラエボサッカー場というアプローチ自体は、それほど目新しくはない。
 だが、「クリスチャン・スナイパーのビューポイントで見たベイルート市街」という一枚には唸らされた。政治家のポスターやダイエット商品の広告、洗濯物などが映る、実に何気ない日常が、「スナイパー」の視界だというクレジットを与えられただけで、惨劇の展開される直前の、脆く不条理な存在として、観るものの前に改めて立ち上がってくる。
 その風景の何気なさと、それを観ているスナイパーと同じ禍々しい目線を持たされた自分。そのコントラストが、この作品を観るすべての人に突きつけられる。そんな禍々しい静謐さで政治、あるいは現代の空気を透徹する視力は素晴らしい。

横浜美術館(「ノンセクト・ラジカル」展は9月20日まで)
http://www.yma.city.yokohama.jp/nsr/info/index.html