ビオダンス初体験で分かった、「自意識をなかなか脱ぎ捨てられないオレ」

rosa412004-09-20

 自分で言うのもなんだけど、オレって、割とオープンな性格で、飾り気もない。いや、正確に言うと、そう思っていた。だがオープンな性格や飾り気のなさと、自意識の強さはあんまり関係ないことに気づいた。41年と2カ月弱で、ようやっとだ。とほほ・・・。あるいは、オープンな性格や飾り気のなさも、実際にはそう演じているだけで、実は仮面みたいなもんかもしれん。
 そう思うと、今まで自分でこうだと思っていた<自分>が、けっこうぐらつきだした。オレってホントはどんなヤツなの???
 先日、ある取材でビオダンスというものを初体験した。初体験で大雑把な感想を言うと、さまざまな音楽にのって自分の身体を自由に動かしながら、世間体や自意識から自分を解き放ち、人とのスキンシップを通して、ピュアな感情をキャッチボールし、素の自分と出会うダンスってな感じだ。
 たとえば誰かの手を握り、目と目を見つめあい、ウェルカムな気持ちを交換する感じで、ゆっくりと歩いてみる。4、5人で円を作り、目を閉じて両手を重ね合わせ、上から下へ見知らぬ人の手を手で愛撫しながら、ウェルカムな気持ちを与え、受け取る。あるいは、起承転結のある音楽にあわせて、空を飛ぶイメージで踊ってみるとか。
 こう文字にしてしまうと恥ずかしくなるが、その趣旨はよく理解できた。全然、変じゃない。欧米みたいにハグしたり、気軽にスキンシップをとる仕草がないお国柄だから、そういうものがもっと必要だと思う。
 職場や学校といったシステムで抑圧された日常を生きている人には、音楽を通して、世間体や自意識に縛られて窒息気味の自分を、大いに解き放つことも必要だろう。きちんとそれができたら嬉しいし、さぞかし気持ちいいだろうよ。実際に泣いてる女性が、けっこういた。
 オレも頭ではよくわかった。だけど、鳥みたいに羽ばたいたり、バレリーナみたいにくるくる回転しながらも、あるいは、手をつないだ相手の目を照れ臭くてまっすぐ見れず、時折覗き見る程度しかできない自分に直面したときに、オレは気づいた。
「あれ、オレって、じ、自意識をなかなか脱ぎ捨てられないぞ!それに全然、気持ちよくなれないぞ」
 ・・・つまりね、変な格好していても、変な格好してる自分を、息をつめてジーッと見つめているもう一人のオレを見つけた。もちろん、鳥のように舞いながらね(^^;)。ビートニックな音楽に合わせて、ハチャメチャに踊っているつもりなのに、なんか決まった身振りを反復してるだけのオレとか。どれもが自分をうまく解き放てない、かなり不自由なオレだった。
 オレってダメじゃん。もっと簡単に心を身体を解き放てるだろうとタカをくくっていただけに、ショックはデカかった。
 さっそく、帰宅後に奥さんに話してみた。
「でもオレって、他人の前でバカやったり、自分の恥ずかしい失敗とか映ってるビデオを他人に見せて、一緒に大笑いしてたりするヤツやんかぁ。なのになんで、自意識を脱ぎ捨てられないんやろ?」
「だって他人の前でバカやったり、恥ずかしい失敗のビデオとか見せるのは、大阪人的なサービス精神の範囲内でやってるだけでしょう。その一方で、キザな服装とかを殊更嫌うのも、何かと自分のこだわりが強いのも自意識が強いせいだよ。自分では気づいていないだけで、かなり強いよ」
「・・・・・・・・・」
 自分で言うのもなんだけど、オレってどんなヤツ?

●ビオダンス:http://www.biodanza.jp/