『青山二郎全文集(上)』ちくま学芸文庫

青山二郎全文集〈上〉 (ちくま学芸文庫) 
 以前、ゴッホの絵の前で動けなくなった。パリのオルセー美術館での出来事だ。それは彼が好んで書いた自画像のひとつで、彼が亡くなる前年の1889年、36歳で書いた自画像だということは、後で知った。青白い顔に、金髪のあごひげをたくわえたもので、中学か高校の美術の教科書で見た記憶があるやつだった。ぼくはとりわけゴッホのファンだったわけでもない。
 だがオリジナルを前にして、ぼくの足は止まった。いや、正確に書けば動けなくなった。たぶん、最低でも20分近くは固まっていた気がする。そんな経験は41年生きてきた中では、あれが最初で最後だ。当時、うちの奥さんは、そんなぼくを少し気味悪がっていた。
 その絵は、美術の教科書で見ていた絵とはまるで別物だった。一言でいうと、「腐臭」がした。
 もちろん、1889年の作品だから、実際に変な臭いがしたわけではない。でも、その絵の放つ、言葉にしがたい力が、そのときのぼくには「腐臭」としか表現できないものだった。
 同時に100年以上をへて、この極東の島国から来たアジア人のぼくを鷲づかみにする、絵の測り知れないパワーを体感させられた。そう、少し背筋が寒くなる出来事でもあった。

 
 先日、田町「ヌース」でお会いした筑紫みずえさんからお借りした『青山二郎全文集』上巻(ASIN:4480087419)を読んでいて、そのことをぼくは思い出した。「小林秀雄と三十年」という文章の中で、青山さんはこう書いている。少し長いが引用する。ただ、あらかじめ誤解のないように前置きしておくが、ぼくが<見える眼>をもっているとは微塵も思っていない。
「眼は物か物の美か、何れかを見ている傾向があるから明治四十年の伊万里が、どんぶりかさもなければ美的骨董品に思へるのである。見える眼が見ているものは、物でも物の美でもない。物そのものの姿である。姿が見えるというのは、女が美人に見えることではない。物の姿とは眼に映じた物の、それなくしては見えない人だけに見える物の形―形あるものから見える眼のみが取りとめた形である。
(中略)
 誰も『雪舟』を語る小林に耳を傾けているが、その画を著書の様に観た者はないのである。雪舟の画を見る機会もなく、見る眼も持たないで、著者に求めているものは何か―いまや小林の美術論に、人は文学を読んでいる証拠である」
 このわかるようでわかりにくい文章の、それでも手触りみたいなものなら、ぼくにもかろうじて感じ取れるのは、冒頭のゴッホの絵にまつわる体験があるからだ。たぶん誰でも、程度の差こそあれ、言葉にならないけど、なぜか惹かれる歌や絵や文章がいくつかあるはずだ。
 そして青山さんの文章は、書き手の理屈や意図といった、チョコザイナなものをこえて、その姿だけで読ませる、わからせる文章というものの存在を、ぼくの目の前に改めて突きつけてくる。ぼくはあのときと同じように、また動けなくなる。