瞬時もしくは一方的コミュニケーションと、骨の折れるコミュニケーション

 ある駅前で待ち合わせたG君は、2週間前とはまるで別人だった。肩辺りまでだらしなく伸びていた黒い髪は、短くこざっぱりと刈り込まれ、きれいに茶髪に染められたいた。
 ある地方都市の下宿で会ったときの着古した白のTシャツと濃紺のジャージの、まるで精気のない表情と、消え入りそうな声の持ち主は、1年近くの引きこもり生活を、わずか2週間で変身して抜け出そうという決意が、その髪型に見てとれた。そう、人は変身できる動物なのだ。
 その日は4人でファミレスで昼食をとり、近くのボーリング場で盛り上がり、葛西臨海公園で海をボーッと観ながら、夕暮れを待って、引きこもりの若者を支援するNPOの若者寮に、G君は1日体験入寮した。
 引きこもり本第二弾の取材を始めている。引きこもりの若者を訪問して、彼らを引き出す「レンタルお姉さん」と呼ばれる訪問スタッフがテーマだ。ケータイやEメールなど瞬時に、あるいは一方的にコミュニケイトできる今、引きこもり若者相手に、手紙や電話で接触をはかり、3ヶ月や半年かけて家を訪問して、短くて3ヶ月、長いと2、3年かけて彼らを連れ出す「レンタルお姉さん」のコミュニケーションは、気の遠くなるほど骨が折れる。いわば非効率極まりない。
 ケータイやメールと「レンタルお姉さん」。その対極とも思えるコミュニケーションの狭間に、ぼくやあなたが暮らす社会の今をあぶりだしたい。ぼくなりの「命の声」と「自由の音」を、皆さんにお聞かせできればと思う。ちなみに出版社は未定、トホホ(^^;)。