「不幸」の只中から、しあわせをつかみとること

rosa412004-10-15

 言葉ってやつはホント不思議で面白れぇなぁ〜。新聞だろうが、本だろうが要は印刷された字なのに、そこに書かれた内容によってペラペラに見えたり、はかり知れない奥行きを感じさせたりするから。
 近くの図書館で東京新聞をめくっていて、久々に唸(うな)らされた。10月5日付夕刊7面、「にんげん賛歌」と題された連載記事。芥川賞作家で、8年前、脳梗塞で倒れた大庭みな子さん(73)と、彼女を介護する夫の利雄さん(75)の話だ。利雄さんが夫婦について語る言葉は、一見、その字面は枯れているけれど、その下にとてもみずみずしい発見が、小春日和みたいな穏やかさで横たわっている。


「例えば冬瓜(とうがん)とか大根とか、
若いころ何だこんなものと思っていた食材の味が、
年をとると分かってくる。食欲が落ち着くからでしょう。
人生も対人関係も同じ。
欲望が薄れてくると本質や価値が分かってくる。
そういう実感がありますね」


「お互いが進んで相手の奴隷になることと、お互いが相手を
奴隷にしようとすることとは、全く違う結果が生ずる。
自分が犠牲になってると思わせたらダメですね。
この人のためにはと、お互いが思えるようじゃないと。
相手が幸せにならなきゃ、自分も幸せになれない」


・・・・・・参りました。いかに自分が、人生のチンピラかがよく分かった。老いぼれてゆくことが、少し恐くなくなった、いや、なんだか妙に楽しみにさえなってきた。明日、うちの奥さんにもこの記事のコピー、読ませようっと。ってゆうか(^^;)、まず、この本を買って夫婦で読んでから、うちの両親に送ってあげよっ。

終わりの蜜月―大庭みな子の介護日誌

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