震災10年の神戸から「日本」を見抜く〜作家・高村薫さんの言葉:神戸新聞web「震災10年」特集から

rosa412004-10-18


 内角高めのギリギリに快速球を決められ、身動きすらとれずに三振した9番バッターみたいな気持ちになった。
「真剣に考え出したらどうしようもないから、考えない」
「考えていたら生きていけないから、目をそらす」
 この社会にも、僕の心にも、なんともあからさまな空洞が、呆けた人の口みたいにぽっかりとあいていた。高村さんの言葉に、そのことを目の前に突きつけられた。神戸新聞webサイトの<震災10年へ>特集のひとつ、「高村薫 神戸に思う」という連載記事だ。
 今年7月下旬のもので、少し古い。だが、その言葉が指し示す問題は、神戸にかぎらず、この社会と、私や、あなたの空洞に、今も突き刺さりつづけている。以下、連載最後の6回目の記事から一部引用させてもらう。

「未来像が浮かばない」。
神戸を歩いた高村さんの言葉だ。思えば、日本全体の未来像が見えない。行き詰まったような、どこかあきらめてしまったような。
今起きているいろいろな問題について、真剣に考え出したらどうしようもないから、考えない。年金制度が不安だと、皆が言う。それでも車を買い、旅行に行く。貯蓄率は下がっている。分からないではない。大半の人が何がしかのローンを抱え、貯蓄などできない。考えていたら生きていけないから、目をそらす。

 防災も、国民は「関心がない」というより、「本当に心配なことは心配したくない」ということ。東京の住宅密集地に住んでいる何百万という人が、本当に考え出したら、住んでいられない。被災地の沈滞した空気も、元はそういうところにあるのかもしれない。真剣に考えたら、神戸に空港なんてできないでしょう。

 交通インフラを整えたら、流通が盛んになり、産業が発達するという、高度経済成長時代の発想。今では通用しない。でも、とりあえずそれしか思いつかない。ほかに、こうしたらいいという手だてがない。見つけようと努力もしない。考えても出てこないから、とりあえずつくっておこうという発想。

 神戸市は莫大(ばくだい)な借金を抱えるが、かつてのように歳入が増えていき、返済できると考えているのだろう。そういう希望的観測がないと、できない。

 
 僕も震災が起こった3日目から神戸に取材に行き、まるでテレビセットみたいに潰れた木造家屋やマンションを目の当たりにした。でも、そこから何も学べていない。今の僕の暮らしとあの経験とは、まるでちぎれている。もちろん、ある物事について考えないという智恵や、目をそらす効用だってある。それはわかる。いきなりマンションのローン契約をチャラにするわけにもいかない。だけど忘れてはいけないことはある。時間があれば、全6回の連載を読んでみてください。

神戸新聞web「高村薫 神戸に思う」全6回連載
http://www.kobe-np.co.jp/sinsai/200407takamura/index.html