[視点」つい急いでしまうことの怖さ、急がないことの難しさ

 図書館に行こうと、雨の中、家を出た。しばらく歩いていて、ふいにその葉の上で水滴をきらきらさせた野花を見つけて、足が止まった。あいにくデジカメは持っていなかった。家に引き返そうかどうしようか、おそらく30秒ほどは迷った。
 結局、家に戻ることにした。誰かと待ち合わせているわけではない。どうせなら、図書館までの道で、あれこれ雨の日を感じさせるものを写真に撮ることにした。休みの、しかも雨の日に、そんなに急ぐのもちょっとかっこ悪いような気もした。そして最初に撮ったのが、左上の一枚だ。もっと大きくできれば、もっときれいな写真なのだけれど、このサイズだとイマイチか。
 でもデジカメを持ったおかげで、図書館まであちこち道草しながら楽しい時間になった。普段は目もくれないマンホールの上や公園の階段にできた水溜りを、まじまじと見つめたりして。


 図書館で雑誌をあれこれめくっていて、『SOTOKOTO』11月号の、明治学院大学教授の辻信一さんの連載『スロー・イズ・ビューティフル』の記事に目がとまった。脳性マヒのカメラマン、岩田守雄さんと辻さんの対談記事だ。詠んでいてドキッとした。以下、一部抜粋させていただく。
話の前段として、「ノーマライゼーション」という言葉が、障害者の視点ではなく、あくまで健常者の視点から、障害者を健常者に近づけようという思想にもとづいて世の中で使われている、という点で二人の意見は一致していた。

岩田「ひとつ面白いな、と思ったのは、ボランティアという言葉が出始めた当時、障害ボランティアということで、学生さんとか若い人たちが、障害者の介助をするようになった。すると彼らはぼくらのところには来ないんです。(中略)ぼくらのように自分で歩ける者。で、どこへ行くかっていうと、車イスの人たちのところへ行く。なんでぼくたちのところには来ないんだろう、と思ったんですが、結局、車イスだとそれを押しているボランティアの人のペースで動けるからなんです」

辻「うーむ、なるほど。最近思うのは、『待つ』ということが現代人は本当に不得意になってきているということです、相手のペースを認めたり、尊重したり、ということができなくなっているんじゃないか、と。
(中略)
待つことが不得意になった社会とは、決して他人に対して冷たいだけでなく、何より自分自身に対して寛容じゃない社会だと思います」

岩田「それが一番重要なことです。他人に待ってもらえないことより、自分が待てないことがつらい」

辻「岩田さんでも自分を急かしているって感じることありますか?」

岩田「ありますよ。(そんなときは)落ち着け、焦っても仕方がない、と自分に言う」

 これじゃ、まるでシンクロニシティじゃないかと思った。(偶然のように見えて、実は起こるべくして起こっている事。以下をご参照ください●id:rosa41:20041021) さっき自分の中で起こった、小さな葛藤のことがそこに書かれていたからだ。今の僕は他人に待ってもらえない方がつらくて、自分が待てないことはそうでもない。
 だが対談を読むと、自分が待てないことの方が状況は深刻で、怖いことだということが、頭ではわかる。

辻信一著作リスト
岩田守雄webサイト