川上弘美『溺レる』〜石と石をこすり合わせて、ただカチカチと鳴るだけの「淋しい」
奥さんから、何か読む本ないのときかれて、きょねんよんだ川上さんの『溺レる』(文春文庫)をわたした。きのうのことだ。でも小説をよみなれていないと、ぜんぜんおもしろくないかも、と一応つたえてはおいた。
案の定、けさ、何がいいたいのかぜんぜんわからないんだけど、と彼女にいわれてしまった。やっぱりそうか、とおもいながら、わたしたやつの責任とも思い、本のさいしょの「さやさや」というはなしをよみかえしてみた。
おおざっぱにいうと、それは蝦蛄(しゃこ)を食べにいった帰りに、夜道でかるくキスしてしまう男女のはなしだ。そのはなしに、昔、少女だった頃の女の家に、40歳すぎまで一人身で居候していたおじさんのエピソードがおりまぜられている。
しかもはなしが進むにつれて、もう段落変えすることもなく、昔のおじさんのはなしと現在のはなしがいっしょにされていき、ごちゃごちゃになってくる。そうして時間軸をうまく消している。過去と今がうまく溶接されてしまう。話の最後は、男のそばで、さやさやと一人おしっこをしながら「淋しいね」と女がつぶやく。こりゃ、いきなり、小説にふなれな彼女にむずかしい本をわたしてしまった。ぼくはあらためて後悔した。
でも川上さんの短編は、ストーリーをおうことにあまり意味はない。その小説がただよわせている空気を、どう吸ってどう吐きだすのかだけだ。
女がまだ少女だった頃、不可解に思えたおじさんの寄るべなさを、今の彼女もかかえている。深夜の道をあてもなく、友達以上恋人未満の男とあるく彼女は、おじさんの孤独をうかがいしるには、じゅうぶんすぎる年齢だ。また、一緒にあるいている男も、かつてのおじさんにも似て、寄るべなさげだ。
「淋しい」は、ふつう、そのしゅんかんの感情を吐露するためにつかわれる。けれど、このはなしの最後に女が一人おしっこしながら口にするそれは、かつてのおじさんや、この男と女をどうじにくしざしにしている。生まれて死んでいくそんざいとしてのものだ。ただの石と石をこすり合わせるような、つまり火花もとばず、ただカチカチとだけ鳴る「淋しい」だ。
ひとはその「淋しい」をけすために、夢をみたり、スポーツにはげんだり、恋愛や結婚をしたりするけれど、「淋しい」は質量保存の法則よろしく、その間もけっして増えもしなければ減りもしない。そうして、ぼくやあなたをじっと見つめている。じつにたんたんと、おだやかに氷の彫刻でもつくりあげるみたいに、川上さんはそんな「淋しい」を、この「さやさや」をとおして、ぼくの目の前につきつけてきた。
・・・と、奥さんには説明してみたのだけれど、わかった?ときくと、彼女は「なんとなく・・・」とわかったようなわからないような表情でいった。
- 作者: 川上弘美
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2002/09/01
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