『父、帰る』アンドレイ・ズビャギンツェフ監督〜にぶく光る斧(おの)のような質感

rosa412004-11-04

 故・松田優作が愛したといわれるお好み焼きが大阪にある。○△□焼(まんだらやき)富沙屋本店(谷町6丁目)の豚モヤシせいろ蒸しだ。鉄板の上にモヤシ、豚肉の順番で重ねて蒸し焼きにして、ポン酢につけて食べる。いたってシンプルでうまい。それはお好み焼きか?という人もいるだろう。
 だが、こうも考えられるだろう。お好み焼きのエッセンスをうしなわず、それ以外のものを徹底してけずると、豚肉と野菜(しかも歯ごたえのいいモヤシ)だけがのこったと。世界最小の詩、俳句を生んだ国らしい着想だと、ぼくは豚モヤシせいろ蒸しを食べながら思った。それに安くてうまい。大阪的だ。

 海ぞいに立つ、高さ20mほどの物見台から海へと飛びこめずに、友だちから一人置きざりにされた少年が、近づく夜の寒さにこごえながら、弱虫という仲間たちの罵りと恐怖との狭間で、鉛色のスクリーンの中で葛藤しつづける。映画はそこから始まる。少年の張り裂けそうな気持ちと、その陰鬱な画面とのコントラストに一瞬で心を奪われた。しかも、それが映画後半の急展開を暗示する重要なシーンにもなっている。

 12年ぶりに突然帰ってきた父、戸惑う母親と二人の息子。しかも翌日から、父と息子らは車で2泊の旅行に出かけることになる。父に従順な兄と、反抗的な弟。なぜ突然帰ってきたのか。今までどこで何をしていたのか。父は自ら何も語らない。父の威圧感を前に、子供たちも聞きだせない。その多くの謎が観る者をいやおうなく画面にひきつける。森の中でのテント生活、無人島での戸惑いの中で、不本意ながらたくましくなっていく子供たち。

 冒頭同様、胸をかきむしられるような場面がある。釣りがしたいとごねる弟を、父は橋のたもとで置きざりにする。やがて土砂降りの雨がふりだす。そこへふたたび、父と兄の車があらわれ、びしょ濡れの弟は、後部座席にすわるなり、父親にむかって叫ぶ。
「なんで、今頃帰ってきたんだよっ!しかも、こんなんで好きになれるわけないだろう。(中略)・・・ぼくをいじめるためかい!」
 好きになりたいのに、なんでもっと優しくしてくれないんだ!そんな言葉にならない感情を、弟は勇気をふりしぼって父に投げつける。だが父は黙って背中をむけて車を始動させる。観ていてグッときた。
 
 映画は唐突に終わる。だがミステリアスな父親の存在感に目をうばわれがちだが、終わってみれば、少年たちのグローイングアップ・ストーリーになっている。
 
 観終わって、新宿の街をぶらつきながら、ぼくはふいに、○△□焼 富沙屋本店の豚モヤシせいろ蒸しを思い出した。絵画的なコンテと、謎めいた脚本と唐突なフェードアウト、そして時折、蛇のようにしなりうねりする人間の情緒さえあれば、いい映画は成立する。おそらくこれから何度観ても、そのたびに味わいが違う映画だ。CGもSFXもいらない。それらは本来、不必要だということがよくわかる。
 そのくせ、にぶく光る斧みたいなどっしりした質感と、良質の短編小説みたいな味わいの余韻だけがしっかりと胸に刻まれている。ざわざわとした胸騒ぎは見終わってもなおつづいていた。

 劇映画デビュー作で、03年のベェネチア国際映画祭グランプリ金獅子賞と新人監督賞のダブル受賞もうなづける。レオス・カラックスの『汚れた血』、あるいはジム・ジャームッシュの『ボーイ・ミーツ・ガール』を観たときのように興奮した。小津安二郎ファンだというのも好印象(^^)。次回作が楽しみだ。

 アンドレイ・ズビャギンツェフ、この覚えにくい名前をなんとかおぼえたい。

映画「父、帰る」公式web
このwebもカッコイイ。映画の雰囲気が味わえる。なお、映画は明日5日(金)まで。ビデオ化後にでも観てください。
●○△□焼 富沙屋本店TEL06-6762-3220 地下鉄松屋駅から徒歩5分。営業は17時から24時。(火曜定休)