べてるに学ぶ、おりていく生き方<VOL2>〜健常者と障害者の「境界」が見えなくなるとき
パネリストの一人、田口ランディさんがとても率直にこう告白した。それは「自分の病気には逆らえない」などと、それぞれの精神病とうまく付き合っていこうとしている入所者や、そんな彼らと同じ目の高さで向き合う医療スタッフたち、そんな「べてるの家」の人たちの話をうけての発言だった。
「うちの家族は兄も引きこもりで、父も爆発しやすい人で、そういう人を抱えている家族としてすごく大変だったので、まともにならないと幸せにはなれないとずっと思ってきました。だから、皆さんの話を聞いていて、どうしてあるがままの状態を幸福だと思ってあげられなかったのか、と思います。
それに私は、困っている人が目の前にいると、何かしてあげたいと人一倍強く思ってしまう方で、それが家族に対してうまくしてあげられなかったことで、なおさら苦しかった部分もあるとは思いますが・・・」
すると、べてるの入所者Hさんは即座にこう言って満員の聴衆を爆笑させた。
「それは『何かしてあげたい』病で、病気型コミュニケーション障害だな」
ランディさんの率直さを、Hさんはその独特のユーモアでうまく包み込んだ。一方のランディさん自身は、その瞬間、「嫌だぁ〜」とギャグっぽく頭を抱え込んだのだけれど。
この日は東大の助教授が一人、パネリストとして参加していたのだが、司会の上野さんの質問にだらだらと答えたり、質問の趣旨にそわない答えをしたり、そのコミュニケーション能力ははなはだ心もとなかった。実際、Hさんの突っ込みの直後、上野さんが助教授を指して「じゃあ、この人はどんな病気?」とたずね、「自分をどうしていいか分からない、自分にやっかい病だなと、Hさんが”診断”して再び会場の笑いを誘っていた。
おそらく健常者と精神障害者の境界のあいまいさを、この日の多くの参加者も痛感していたにちがいない。
それは同時に、参加者自身とべてるの人たちの境界線をも揺さぶっていた。
「協調性とか道徳といった社会のルーツを、彼らはことごとく壊していて、この世に存在している人たちで、精神病の専門家としての役割を果たさせてくれない人たちなんです。そんな彼と向き合うことで無力感をおぼえた段階から、私の仕事は出発したんです」
彼らと20年来の付き合いになるK先生がそう話していたことを思い出した。にもかかわらず、時に東大助教授や人気作家より、「べてるの家」の入所者の発言がはるかに論理的で端的だったりする。こんな面白い光景はない。これでこそ、「べてるに学ぶ、おりていく生き方」シンポを東大で開催した意義がある。
K先生の話はつづいた。べてるに来る前に勤務していた精神病院での話だ。
「先生には大変お世話になりました、と言って退院していった人が、結局は一人も良くなってなくて再入院してきた現実があって。それがべてるでは、『先生にもお世話になりました』程度で、それより友達が増えてよかったとか、自分の病気について自分の言葉で語れるようになってよかったと話す人がいて、そういう患者さんの力で、医者としての自分を変えてもらったことの方が大きいですね」
治す側と治される側という上下関係が消えたとき、K先生は医者として再生するスタートラインに立つことができた。だが、それはけっして簡単なことではない。誰でもが真似できることではない。病院という社会のヒエラルキーでは医者の権威が最上位だからだ。K先生が、常識にとらわれず、自らおりていく生き方を選びとったから、精神科医としての新たな世界はひろがった。
境界を消してみること。権威からおりてみること。精神医療の現場にかぎらず、そんな場所から新たに見えてくる世界が、おそらくそこかしこにある。 <つづく>
田口ランディのアメーバ的日常
6日付けの日記に、ランディさんがシンポでのことを書いています。
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