大阪弁が恋しくなるとき

rosa412004-11-25

 もう無性に、大阪弁が聞きたくなるときがある。左アンテナの大阪MBSラジオ「ヤングタウン」で、笑福亭鶴瓶の「すわるラジオ」を聞いてると、まるでお風呂にでもつかっているように、気持ちがほっこりするんや。11月7日分のインターネット放送を聞いていたら、MBSのアナウンサー、角淳一が登場した。この名前を知っている人は、「はてな?」にはおらんかもな。ぼくが中学生時代、鶴瓶と角さんはヤンタンで共演していた。もう25年以上前の話や。
 こういう気持ちって、いったい何なんやろ。浜村淳トーク番組も、ぼくが子供の頃からやっている。聞きなれた声の威力って、ホンマすごいな。そういう言葉や、そういう番組が今なお続いていることって、大阪人の財産やわ、絶対に。
鶴瓶の放送で、時折、海外在住のリスナーからのEメールが紹介される。たとえば、「上海の学生寮で、アメリカ人のルームメイトに怪訝な顔をされながら、一人笑い転げてます」とか、「オーストリアの自宅で、中学生の子供といつも楽しみにしています」といったメールだ。
 短期間でも海外で暮らしたことのある人なら、その気持ちは痛いほどわかるはずや。昔なら不可能やったことが、今はインターネットで実現できる。それってやっぱり素晴らしい。
 ニューヨークで3ヶ月ほど暮らしたときは、ぼくは小林秀雄の『考えるヒント』の文庫本数冊を持って行った。そして舐めるように何度も読み返した。心と身体全部で、まるで抱きしめるみたいに読み込んだ。ああいう読書体験は後にも先にもない。小林さんの音楽の旋律みたいな文章は、その字面の難解さを軽く飛びこえて、日本語に飢えた心にびんびんと響いてきた。
 もちろん、言葉は文字として目には見える。せやけど、ふいに心がひりひりするぐらい欲しくなる大阪弁や日本語は、まるで目に見えない正体不明のもんで、それでも確かに身体の芯に近いところで、今もぼくをつっかえ棒みたいにして支えてくれている。