フジテレビ『海峡を渡るバイオリン』〜ギター侍みたいに「残念!」だった

rosa412004-11-27

 知人の鬼塚忠さんからメールが来た。今日夜8時からフジテレビで放送されるドラマ『海を渡るバイオリン』を観て感想を送ってください、という内容だった。ある分野で秀でた能力を持ちながらも無名の人材を見い出し、その人の才能を単行本にまとめて、世の中に知らしめる。鬼塚さんはそんな作家の代理人会社、アップルシードエージェンシーの社長だ。2年前、彼が創業当初に放ったヒット作が『海を渡るバイオリン』だった。
 韓国人であるがゆえに、日本では誰からも正式な指導を受けられず、名器ストラスバリウスを夢見て、独学でバイオリン製作を続けた陳昌鉉(チンショウゲン)さんの半世紀を、鬼塚さんと岡山徹さんが聞き書きした本だ。それを原作に芸術祭参加作品として、あのテレビドラマ『北の国から』の杉田監督によって製作されるなんて幸運はめったにない。彼がメールを送ってきた高揚感はよくわかった。
 韓国の小学校に赴任してきた日本人教師と陳少年の、バイオリンをめぐるエピソードから物語は始まる。だが圧巻は、ドラマの後半で陳夫婦が衝突する場面だ。
 雨に濡れた赤ちゃんの身体を拭きながら、そのタオルの色にインスピレーションをおぼえた陳(草薙剛)は、濡れた赤ちゃんをほったらかしにして、バイオリン製作を始める。妻(菅野美穂)が気がつくと、赤ちゃんは40度をこえる高熱にうなされている。陳は暴風雨吹き荒れる中、医者を呼びに行くが、医者は「命の保証はできない」と告げる。名器作りに焦り、収入源だった小学生用のバイオリン作りを止めてしまった夫の代わりに、川底の砂利拾いをして生計をささえた妻は、「あなたの夢は私の夢だと思ってがんばってきた、でも・・・」と嗚咽し始める。
 この場面での菅野美穂の鬼気迫る演技が素晴らしい。二人の幼い子供のことを思うと、狂ったようにバイオリン作りに取り組む夫と、母である自分の間に初めて距離感を覚えた。そんな自分を一方で責めながら、彼女は陳の故郷の母親への送金の一部でも、子供たちに充ててほしいと二児の母として懇願する。全身にみなぎる情感をまるで錐(きり)のように束ねていく彼女の集中力と、その爆発のさせ方は観る者の心を平手打ちする。ぼくは涙が出てきて仕方なかった。
 だが陳は言う、「おまえに韓国人として差別されてきたオレの痛みが分かるか!」と。草薙の熱演はわかる。だが彼のこの台詞は残念ながら、観てる側の胸に突き刺さってこない。歴史などまるで知らない子供だったぼくに、金本という苗字の同級生の女の子を「あいつ、朝鮮人やて」とその意味さえ知らずに友達にいわしめた、そんな社会で生まれ育った人たちの心を刺し貫く叫びになっていない。それは脚本のせいだ。
 たとえば、陳少年にバイオリンを教えた善良そうな日本人教師との交流や、陳が日本人女性と結婚する場面で、差別がきちんと描かれていない。というか意図的に省かれている印象をぼくは持った。
 私が韓国留学時代に、とても流暢な日本語を話す初老の医師から聞いた話がある。日本占領時、韓国では学校に行くと子供たちに10枚の白い紙が渡された。それは授業以外の時間に、子供たちが韓国語を使っているのを目撃し指摘した子は、その紙1枚を韓国語を使った子から取り上げることができた。そうやって自分の国の言葉を使わせないように、子供たち相互に監視させた。その白い紙の枚数が成績に反映するという、嫌らしいシステムだった。
 これは方言札と呼ばれ、北海道(当時は蝦夷)や沖縄(琉球)の人たちを支配に組み入れていく際にも使われていたシステムで、それが韓国の陳少年の時代にもあったにちがいない。陳青年が日本人女性と結婚するときも、無数の罵詈雑言や陰口があったにちがいない。もちろん、それは日本型支配の、あるいは在日韓国人差別の一例にすぎない。戦時中なら侵略者としての日本の姿や、戦後なら日本人の韓国人差別がきちんと書き込まれていないから、草薙の憤りが観る者の胸に突き刺さらない。
 そういう障害をこえての日本人教師との交流や、日本人女性との結婚だからこそ、それぞれのエピソードの奥行きが増すのに、とても残念だ。陳昌鉉(チンショウゲン)という人間がこえてきた壁の高さと分厚さが描かれないから、テレビドラマ『海峡を渡るバイオリン』はどこか陰影があいまいで、故国で一人老いた母の元に家族を連れて戻った男のホームドラマめいてしまった。
 
 余談だが、韓国ソウルで、ぼくに白い紙の話をしてくれた韓国人医師は、韓国の月刊誌『新東亜』より、日本の『文藝春秋』を読むほうが今でも心の琴線にふれるんですよ、と言って苦笑いした。そういうインテリがこの国には多いんだと。日本占領時代に、友達から白い紙を奪い取ることで優秀な成績をとり、医学学校に進んで医師という当時の成功者になった彼は、僕の青春の歌だといって、日本の軍歌を声高らかに歌いだした。
 白髪交じりの丸顔で恰幅のいい彼は、右手をふってリズムをとりながら、次から次へと軍歌を歌いつづけた。しばらくすると、歌いながら彼の目から涙がとめどなくこぼれ、両頬をつたって流れ落ちた。それが単に青春の追憶によるものでないことは明らかだった。そして広さ10畳ほどの部屋に二人っきりでいながら、22歳のガキだったぼくは、彼との間にとてつもない距離感をおぼえて頭がくらくらした。同じ部屋にいながら、次第にはるか彼方へ遠ざけられていくようだった。隣国のこの初老の男を骨の髄まで日本人にしてしまった権力の恐ろしさに言葉を失い、そんな植民地教育は人殺し以上の犯罪だと思った。

海峡を渡るバイオリン

海峡を渡るバイオリン