はねる心

rosa412004-12-05

 あっ。思わず声をあげてしまった。小さな門をくぐると、大きな銀杏の大木の並木道がおよそ30mまっすぐにのびていた。青山通りから神宮外苑に入るところにある銀杏並木ほどの太くて高い並木が、幅わずか4mの小道の両脇にずらっとならんでいる。杉並区荻窪3丁目にある、太田黒公園の入り口だった。夏並みの暖かさとなった今日、お昼ごはんを食べてから、散歩がてらに夫婦で紅葉狩りに出かけた。
 暖冬のせいか、ここもまるで緑葉のものがあったが、緑色と紅色が微妙なグラデーションを見せるモミジがなかなか味があってよかった。こじんまりした、素敵な庭園だった。近所に住んでいて、今まで一度も来なかったことが残念に思えるほどだ。池の真っ赤な錦鯉が青空を映した水面をゆったりとたゆたい、一枚の紅葉とのコントラストがきりりと締まったした俳句みたいだ。立て札を見ると、新潟県小千谷市から寄贈された錦鯉だった。さっきまでうっとりしていた心が、唐突に現実に引きもどされた。
 散歩をおえて電車に乗り、自宅の最寄り駅でおりて、ぼくは一人で図書館にむかった。いつも通り、新聞数紙をチェックしてから、初めて児童書のコーナーに足をふみ入れた。レオ・レオニの絵本を探したら、10冊以上が本棚に並んでいた。高さ60㎝ほどの子供用机にすわり、まず三冊読んだら止まらなくなった。
 レオニには、群れから外れて違う世界に進入し、そこで見た珍しいものや出来事を、ふたたび自分の元いた場所の仲間たちに伝えて、何かを変えてしまう動物たちの話がいくつかある。それはぼくの仕事にも似ていて、ときどき見失いそうになる大切なものを、ぼくに思い出させてくれる。案の定、すっかりハマッてしまい、次々とレオニの絵本を棚から引き出したり、戻したりした。
 ふと気づくと、左斜め前の机で小学校1年生ぐらいの男の子が、食い入るような顔つきで本を読んでいた。いや、ただ見ていただけかもしれない。タイトルは『死』で、作者は宮崎学さん。ぼくも一度長野の仕事場にお邪魔したことのある動物写真家の本だった。もう何年前だろうか、当時、森で死んだ動物がいろいろな動物に食べられて、きれいさっぱり姿を消してしまう経過を、同じアングルで刻々と記録した写真集を出版されたときだった。タイトルから類推するに、その本も動物の死を通して、子供たちに何かを考えさせる絵本なのだろう。だが、年齢の割になんて早熟な子なんだ。
 と思った次の瞬間、そんな男の子と同じ机で、同じように絵本をめくっているオッサンの自分に気づいて、おかしくてたまらなくなった。周囲からもきっと変てこりんなオッサンに見えたことだろう。いや、最近の世相を考えたら、こっそりと誰かに通報されていてもおかしくないか。
 
 夕食時にテレビをつけると、HNKのハイビジョンで、『世界遺産・青きドナウの旅』の最終日でチェコの首都プラハから中継されていた。プラハ城や市内の人形劇シアターをエッセイストの池内紀さんと、銅版画家の山本容子さんが案内人としてめぐっていた。3年前のちょうどクリスマスの時期に夫婦で出かけた都市で、見た覚えのある広場が映り、なつかしさが心の中で一気にはじけた。
 強い風とともに雪が吹きつけるカレル橋の上で見た幻想的な光景。プラハ城から見下ろした、ところどころ雪をかぶったレンガ色の屋根とアイボリー色の外壁の家々。あるいはカレル橋から望む、夜にライトアップされると、どこかオモチャのお城めいて見えたプラハ城。そんないくつかの光景が思い出された。だがどの風景も大なり小なり雪をまとった白いイメージ。また是非行きたい場所だ。
 一枚の紅葉と錦鯉のオレンジめいた赤や、銀杏の少しくたびれたような山吹色の葉。レオ・レオニの絵本からあふれ出る緑や青やオレンジといった原色。そしてプラハの白い冬のイメージ。いろんな色に心が浮き沈みして、光合成でもしてしまいそうだ。