遊園地再生事業団「トウキョー/不在/ハムレット」三軒茶屋シアタートラム〜闘っているから信じられる
「宮本は闘ってるよな、カッコイイよ」
10年ぐらい前、日比谷野音でエレファントカシマシのライブが終わった後、10代後半の男の子が隣の彼女につぶやくのをきいて、おまえ、ちゃんとわかってんなと、おれはにやついた。まだエレカシが売れる前で、やたらと小難しい文語調の歌詞でシャウトしていた頃だ。
約2時間のライブの間、宮本は一言のMCもせず、アンコールの声も無視してステージに姿を見せなかった。そんな一切、客にこびない姿勢を、彼は「闘っている」とちゃんと受け止めていた。
たぶん、同じく10年ぶりくらいで、今夜、宮沢章夫作、演出の舞台を見た。そしてあの男の子みたいに、「宮沢さんは闘ってるよな、カッコイイよ」とおれは思った。
たしか10年前は、ラジカル・ガジベリンバ・システムというユニット名で、シティ・ボーイズや、いとうせいこ、中村ゆうじらが出ていた。最後に観たのは原宿クエストホールで、火星かどこかを探検する男たちの話で、ギャグとシュールな台詞がくんずほぐれつしながら展開していた。だが今でも覚えているのは、一番最後の砂の演出だった。舞台上から一筋の砂がかなりの時間落ちていた。静まりかえった舞台に、まるでその空間全部を砂時計にせんとばかりに、細く延々と砂だけが落ちつづけた。
それは無情かつ刻々とながれている時間と、限りある命を重ねたメタファーだと受けとめ(作者の意図とは全然違うかもしれないけれど)、なんてシュールなエンディングなんだと、手の甲を親指と人差し指でつねられるみたいに、おれは心臓をつねられた気分になった。
今夜の舞台は北関東のある町で、そこで暮らす何人かが死んでしまう。だが物語の主人公たる人物は不在。どこかの国のエンペラーシステムみたいだ。おおざっぱにいうと、それらの死の謎ときとしてストーリーは進むんだけど、今も昔も筋を追うことに意味はない。
宮沢さんは闘っているーCGをふんだんに使い、舞台にビデオカメラを持ち込んで、舞台とスクリーンで交互に話を進めたり、役者の肉体をわざとモダンダンスめいた動きに変換してみせる。台詞をしゃべる役者をゆさぶり、放り投げることで異化しようと試みたり、それぞれの役者の台詞を取り替えて、舞台上で勝手に別の相手と芝居を始めさせる。安住することなく、ここではないどこかを彼の舞台は志(こころざ)していた。
だが最も心が動かされたのは最後のシーンだ。冒頭のシーンが、暗転して5本のローソクだけがゆらめく舞台で再現される。映画でもよくある手法だけれど、それを冒頭の白々しい明るさの下ではなく、役者の声と言葉、暗い舞台でうごめく肉体だけで再現しようとする。ああ、この人は舞台をこんなにも愛してるんだぁ。肉体と声と言葉という演劇の骨格への、なんて揺るぎのない信頼。10年前と何の遜色(そんしょく)もなく彼の舞台にそれを感じて、おれはグッときた。
「宮沢さんは闘ってる、だから信じられる」
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