NHK-BS2「吉田美奈子ライブ」と病床への電報

 偶然、今夜0時すぎから吉田美奈子さんのライブがテレビで放送されるのを知る。ひとまずビデオで録画予約したものの、原稿のチェックもしないまま、我慢できずに観てしまった。さらにこの文章まで書きだしてしまったよ。トホホ。
 ブラス アンサンブルとは吹奏楽器、たとえばクラリネットサクソフォントロンボーンなど20人の奏者と、唄い手の吉田さんという構成のライブだ。このスタイルでアルバムがリリースされていたのも知らなかった。人の呼吸を歌にする人と、楽器の音色にする人たちだけに、不思議な親和性がある。ライブが進むにつれて、どんどん唄い手の声と奏者の音がなじんでくるのが、観てて楽しい。
 少し白髪まじりの、肩までとどくソバージュの黒髪で、両足をしっかりと開いて歌う吉田さんの存在感は、ブラウン管を通してもじゅうぶんに伝わってくる。
 その模様を観ながらも、少し前の一本の電話のことが思い出された。
 引きこもりやニートの若者を支援するNPOの代表からの電話で、彼と同じ61歳の男性スタッフMさんが、急性白血病で余命1週間だと知らされた。 去年、ぼくの本の原稿を、取材に協力してくれた若者たちにチェックしてもらうために、そのMさんのメルアドに送り、Mさんが印刷して配ってくれていた。拙稿の最初の読者でもあり、ぼくもずいぶん励ましていただいた。見るからに温厚そうな方だ。病名は伝え聞いていたが、そこまで悪化していたとは初耳だった。昨日、NPOの代表が千葉から神戸に見舞いに行かれたら、予想以上に病状が進んでいたらしい。
 海外から娘さん二人も帰国されていて、久しぶり家族四人がそろったので、当初はするつもりのなかった延命治療をすることに決めたと、Mさん本人から聞かされたという。別れ際、あまりに固いその握手に、最後の別れのつもりだなと感じ、いたたまれなくなって居酒屋に直行されたらしい。酔っ払うしかなかったのだろう。

時間の狭間を行く出来事が切ないほどに
夢を誘う夕闇そして夜に
愛を知る人々の微笑みが見えるから
 
やさしい瞳のあなたが歌う声は
物憂げに佇んだ窓辺にも届くだろう
                 吉田美奈子『VOICE』

 電話を切ってすぐ、ぼくはそのNPOの卒業生で、旅行会社の添乗員として働くT君に電話して、手短に状況を伝え、Mさんにお世話になった卒業生の連名で、元気で働いていることを知らせる電報を打つのはどうかと相談した。それを受けとってくれて、少しでも喜んでもらえて、家族ですごす時間が1日でも延びてくれたら、そう願った。T君も快諾してくれたので、他の卒業生3人にもつづけざまに電話した。みんな快諾してくれた。

船を出す様に天上に向かう愛を見送るとしたら
太陽の微風にきっと乗れるよう祈っているから
静寂さと夜空は今
霞ひとつない星空を私に魅せる
遥かなる彼女なら一層
輝きの尾を引いて星の海を逝け
                 吉田美奈子『星の海』

 殺人、自殺、戦争と、テレビやラジオから刻々と送られてくる、おびただしい死の知らせには、恥ずかしくなるくらい普段の僕は鈍感だ。それなのに知人のゆらめきそよぐ命の現実に、どうしてこの心臓はこんなにもしなりくねりするのか。僕の、生と死の遠近法は、どうしてこんなにもお粗末なんだろう。それは、日々の命と暮らしが余りにもぞんざいで、宙ぶらりんだからじゃないのか。

ああ いのちの意味
うけつぐ者たちに伝えよ
そのうつくしさも せつなさも こわれやすさも
みな未知なるまま
泣いて この世にうまれ
ただ愛を求め
小さな扉をひらく
                 吉田美奈子『STAY〜トロイメイラ』

 喜びや怒りを、哀切や悔恨を、そして祈りや愛を、彼女はその多彩な声のグラデーションで歌い描いている。それは吹奏楽器の吐息と歌い手の吐息が織りなす、息吹きのタペストリー(つづれ織り)なのだと思う。 明日、神戸市にある病院のベッドに一通の電報がとどくとき、みんなの思いとMさんの気持ちが合わさり、ひとつのうたになることを祈りたい。
 親愛なるMさんへ

VOICE IN THE WIND (SACDハイブリッド盤)

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