田町ヌースフィア〜当事者の至福とオーディエンス大国

rosa412005-02-18

 奥さんの元同僚とそのご主人、それにうちの夫婦の4人で、夕食のテーブルを囲んだ。白豆のペペロンチーノ、黒キャベツのサラダ(精進料理風)からスタート。
 印象的だった料理のいくつか。上品な甘みのニンジンのポータージュ・スープ。ローストされた鴨肉の皮のジューシーな旨み。鶏肉と野菜たっぷりのモロッコ料理「クスクス」、独特な辛さと濃くのマスタード添え。雑味のない真っ直ぐな酸味のレモンタルト。
 もちろん、最後は濃くのある苦味のエスプレッソでしめた。
 好奇心や驚きをツンツンとつっついてくれる料理と、楽しい会話と笑い声。そして南アフリカの美味しい赤ワインのまるごとを、ひとつのテーブルで友人とシェアする喜びを堪能させてもらった。
 もちろん、気心の知れた友人との食事はそれだけでも楽しい。だけど自分にとって愛しくて仕方のないお店があって、そこに招いた、きちんといいモノを知っている友人たちが驚いてくれたり、「美味しい」と喜んでくれる。彼らの仕草のひとつひとつが、ぼくをたまらなく幸福にしてくれる。
 そんな彼らと同じように、ぼくら夫婦も驚き、好奇心を刺激され、「美味しいね」を共有できる喜び。それが愉快な食卓をもっと豊かにしてくれる。F夫妻、どうもありがとう。
 チンピラだけど、チンピラ・オーナーなりの喜びを満喫させてもらった。それは、たぶん料理だけの話ではない。
何事につけ、お客さん(あるいはオーディエンス)として他人を批判したり評価するだけでなく、何かひとつでも当事者(プレーヤー)として物事に関わることで、たった一度の夕食の至福を体感できる。もちろん、厳しい失望を味わうこともあるけれど。
 それが可能な範囲でリスクをとって、自分が当事者になってみることで、目の前に開けてくる新しい世界だ。
 この日、F氏が話していたように、10万円分の株を買ってみるだけでも変わる。株式市場やその取得株関連の業界動向から、社会の動きががぜんリアルに感じられるようになったらしい。明日の夕食を自分で作ってみることでも、その料理の当事者になれる。金額の多寡の問題じゃ、もちろんない。
 でも、この文章はあなたには届かないかもしれない。800億円のリスクをとって勝負を賭けている若きベンチャー社長に苛立ち、罵倒し、冷笑するだけのオーディエンス大国の人たちにはね。昔も今も、出る杭を叩く「村八分」好きなヴィレッジ・カントリーよ!
 だけどね、ただのカボチャを、お城の舞踏会に向うにふさわしい馬車に変える魔法のステッキは、意外と自分の内側にこそある。最後にOシェフ、卒業おめでとう。