川上弘美著『溺レる』〜寄る辺なく、ひん剥(む)かれる

rosa412005-02-27

 朝おきて、蒲団の中でごろごろしながら本を読む。それだけでけっこう幸せな気持ちになる。季節が冬なら、その幸せ心はいっそうつのる。週末ならではの喜びだ。今朝は川上弘美の短編集『溺レる』の、「七面鳥が」を満喫した。
 先週、和田裕美さんが川上さんの『センセイの鞄』を読んで泣いたと話していたので、『溺レる』を紹介しておいた。そのせいもあって、今朝なんとなく手にとってみた。
 主人公は40歳の女性で、彼女は好きな男と酒を飲んでいる。抱いてほしいのに、その男はなかなか自分を抱いてくれない。飲んで酔っても、好きな男とそういう仲になれないことに女は苛立っている。そのくせ、他の男に組みしかれたりする。そんなことまで、女は好きな男につい明かしてしまう。
 そんな生き方下手な女と、体臭がなく、輪郭がぼんやりとした男。その壊れた遠近法みたいな描き方がまず上手い。二人の職業も、独身か妻帯者かもわからない。ただ、男と女として存在して、言葉を交わし、黙ったりする。
 この短編集はそういう男と女の話が多い。どの登場人物も30、40代で、大なり小なり、人生に傷(いた)んでいる。そのくせに衒(てら)いがない。どこか子どもじみた率直さを持てあましている。
 この「七面鳥が」は、いい意味で行間がスカスカで、その分だけ、話の展開によって草いきれやゲロの臭い、理不尽にわきたつ焦燥や憎悪が濃厚に立ち昇ってくる。男と女の寄る辺なさが波打ち際みたいに、読む人の心にひたひたと押し寄せる。
 そんな男女をとおして、読む者をまる裸にむく。まるでラッキョの皮でもむく要領で、ぼくはひんむかれる。
 その職種や肩書き、恋人や配偶者の有無とはまるで関係なく、人は生まれてから死ぬまで、どうしようもなく寄る辺ない生き物だということを、目の前に突きつけられる。川上さんの小説に身をゆだね、そこに登場する寄る辺なき男と女の模様を読みすすめながら、自分の足元もぐらつきだす。それはとてもスリリングで、心臓が時にそっくり返ったり、しなったりする、そんな気分になる。
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 酔っ払って、男に「しけこもうよ」と口にした女は、しけこむ場所がないとつぶやく男に苛立ち、背の高い草むらに隠れてしまう。

草の中で、体が、虫くらいに縮んだり、人の大きさに戻ったりするように、感じられた。空は明るく見えたが、夜明けはまだ遠いはずだった。目が、夜に慣れたのだった。ハシバさんは黙って座っている。ハシバさんへの気持ちがあふれた。あふれた直後に、ふたたび固まってしまう。蝋燭から垂れる蝋が蝋燭の根元まで行かないうちに固まってしまうように、気持ちが溶けたり固まったりしていた。夜の中で、草の中で、とめどがなくなっていた。
                             「七面鳥が」より一部抜粋

溺レる (文春文庫)

溺レる (文春文庫)