大宰府・観世音寺で馬頭観音と不空羂索観音「見仏」〜異形(いぎょう)の意味

rosa412005-03-25

 たっぷり「見仏」してきた。朝9時前に小倉駅から快速電車で博多経由で二日市へ。そこから5分ほど歩いて西鉄「二日市」駅から五条へ。およそ2時間で観世音寺に到着した。
 目当ては寺にあらず、宝蔵というコンクリート建築物だ。500円の入場料を払って、二階にあがる。5m超の三体の仏像にビビッた。まさに、『見仏記 (角川文庫)』での、いとうせいこうさんの文章を体感した。撮影禁止なので、右写真の馬頭観音は『見仏記』から、みうらさんのイラストを部分転載させていただく。
 なかでも、今回のお目当てのひとつ、馬頭観音(ばとう・かんのん)は迫力十分で、たしかに恐い。ちょっとマジンガーZ、もしくは機動戦士ガンダムをイメージさせる。一方、右隣の不空羂索観音(ふくうけんじゃく・かんのん)はウエストもきゅっと締まっていて、かなり肉感的な菩薩だった。
 ネットで検索すると、どちらも密教系の六観音、もしくは七観音にふくまれる仏像。そもそも、観音が一般の人を救済するとき、いろんな姿で現れるとされ、そのバージョンが六、あるいは七観音というわけだ。もちろん、起源はインドにある。
・・・・・・言葉がおっつかない。とりあえず、ぎりぎりまで近寄って体育すわりしてみたり、対面の壁ぎりぎりまで下がってみたり、仏像の背後に回り込んでみたりしながら、ジロジロジロジロ見る。結果的には約1時間半ほど他の見仏者もなく、マンツー・マン・ディフェンス状態でそこにいた。当日の強い風が時折窓ガラスを鳴らすか、1階受付のおばさんが誰かと世間話する以外は、静かな館内で濃密な逢瀬(おうせ)を堪能した。
 ジロジロ見ながら、ぼくが考えたことは二つ。まず、なぜ5m超のデカイ仏像を必要としたのか。つぎにデカさだけに飽き足らず、なぜここまでフリークス(異形)でなければならなかったのか。馬頭なら、四つの顔をもち、馬を頭上に冠しているし、不空羂索は頭上に十一面観音をくっつけていて、両仏とも八本の腕をもつ。冷静にかんがえれば、どちらの仏像も、もはやオバケ屋敷のろくろ首のノリなのだ。(つづく)
●webの大宰府ミュージアムでそれぞれの仏像写真が観られます