中村政人インタヴュー・プロジェクト『美術な時間』〜インタヴューという万華鏡とインデペンデント魂

rosa412005-03-27

「森下です」
 昨日の昼ごろだ。遅い昼食をおえて、FMを聞きながら雑誌をめくっていたら、電話がなった。受話器をとると、聞き覚えのある声がひびいた。ここでも何度か書いた、森下篤史(id:rosa41:20040602)(株)テンポスバスターズ社長からだった。
「ふふふふ、荒川さんのインタヴューを受けてさ、そうかいろんな人にあれこれ質問できて、ずいぶんと楽しそうだなぁと思って、おれも始めたよ」
「えっ?どこで始めたんですか」
「日経ベンチャー(雑誌名)に『森下がゆく』というインタビュー連載を始めさせてもらったんだ。たとえばさ、おれが堀江のとこ行ってさ、『おまえ、面白れぇからバンバンやれ』ってたきつけたりしてさ」
「おお、それは面白いですね。その記事、ぼくも読みたいです」
「一応、そういうの始めたんで、先輩にも挨拶しとこうと思ってさ」
 ・・・このオッサン、ほんとパワフルだよなぁ。しかも、パワーと情熱は出し惜しみせず、惜しみなく発散させるものだという人生の黄金律を熟知している。たしかに、インタヴューは、相手の人生に触れるには実にシンプルでストレートな方法だし。
 その日の夕方、そのインタヴューの機能を再認識した。アーティストで東京芸術大学助教授の中村政人さんがメールで知らせてくれた、インタヴュープロジェクト「美術な教育」を見学した。中村さんは、93年から始めたこのプロジェクトを「美術と教育」という一冊の本にもまとめている。東西線「竹橋」駅近くの印刷会社1階の倉庫での公開インタヴュー。中村さんが、堀浩哉多摩美大教授にインタヴューする趣向だ。まず、会場がいい。もろ、倉庫に間仕切りして、パソコンを30台近く並べて、過去のインタヴューの模様をそれぞれのモニターで映しつつ、ライブのインタヴューも同時進行する。時間も場所もばらばらなものが、そこで束ねられ同時に行われている。そんな仕掛けもふくめてのライブイベントだ。
 しかも倉庫のシャッターは上がっていて、吹きさらしで暖房器具もない。週末の竹橋だから普段よりは静かとはいえ、ときおり、自動車が前の道を行き交い、見学者の子どもがお母さんにかまってもらおうと、会場の空気をよそに、あれこれと話しかけている。街のノイズをしっかりと含んだ、文字通り、ひらかれたインタヴュー。蛍光灯も、各パソコンモニターを照らす電灯も黄色、蛍光灯のおかげで、そのフロワー全体が黄色く発光している。
 その光景を観ながら、かつて中村さんが企画した「銀ブラアート」を思い出した。それは有名ギャラリーの集積地である東京・銀座の、むしろ路上でこそアートを呈示しようという試みだった。「書を捨てて町に出よう」よろしく、ギャラリーという密室での商業アートを、路上に解き放とうとするアンチテーゼだった。
 中村さんの質問に応じて、当日のゲスト、堀さんもざっくばらんに自分の軌跡をかたっていく。どうやら、二人は初対面だったらしい。つまり、インタヴューでなければ、適当な世間話で終わっているはずの二人の対話が、インタヴューという形式をとることで、いきなり、堀さんの人生を赤裸々に本人に語らせてしまえる。
 中村さんは一貫している。芸大助教授になった今も、いい意味で、インデペンデント魂を失っていない。インタヴューそのものは、とくに後半は時間が延びていたこともあり、聞き手としてはやや淡白だったけれど、その着想自体は、ぼくにとっても刺激的だった。このblogを使って、おれもやりたい。