体の軸、文章の軸、心の軸

rosa412005-04-30

 友だちが面白かったと言っていた『ナンバー』(イチローが表紙のやつ)最新号の、西本幸雄・元近鉄バッファローズ監督のノンフィクションを読んだ。近鉄対広島の日本シリーズ終戦の攻防を描いた、故・山際淳司氏著『江夏の二十一球』を、監督西本の視点から描いている。
 確かに読み応えがある。あの名作『江夏の二十一球』の物語を、西本の視点から取材しなおし、西本の新人監督時代のある出来事という補助線をひくことで、『西本の二十一球』というべき苦味ある、新たな物語がうまれている。有名な物語からであっても、新たな視点をすえることで、別の物語をつむぐことができる格好の見本だ。その文章の中で、ぼくの目を引いたのが「体の軸」という視点だ。
 阪急や近鉄という貧打線を建て直した西本の選手育成法に、体の軸を持たせることがある。それは頭のてっぺんから尾てい骨まで、一本の串で刺し貫いたイメージを持たせ、その体の軸をぶらさないように心がけろというものだ。体の軸のイメージを持てるようになると、バッターならバットスイングが速くなる。他の腕や足などは多少脱力しても、体の軸がぶれなければ問題ないことが体感できるからだ。バットも極力軽く握り、素早く身体を回せる分、ボールのインパクトの瞬間だけ力を入れれば、ボールは自然と飛んでいった。
 西本は、この「体の軸」というイメージを選手たちに持たせることで、適度に脱力してバットを握らせ、振らせることに成功した。いたずらに、「リラックスして打て」という抽象的な指導ではなく、具体的なアドバイスによって、選手たちをリラックスさせてみせた。ジムのプールで、その文章を読んでいたので、さっそくクロールを体の軸を極力ぶらさないように泳いでみた。息継ぎも極力抑えめにして。すると、割と軽く100m泳げた。普段は意識的に脱力しようとして、力んでしまい、後半に失速してたりするんだけれど。 
 この視点は、文章や生活にも応用できそうな気がする。文章も基本的な構成がきちんと決まっていれば、あとは適当に遊んだり、詳細なデータを織り込んでアクセントをつければいい。もちろん、普段もそういうつもりで書いてはいる。だが基本ラインに、人の心にしっかりと刺さる力強さがまずあってこそ、その過程の遊びやシリアスがより生きてくる。ぼくの場合はその優先順位がときにあいまいになってしまう。文章の軸がずれてしまう。
 これは生活でも同じことだ。今日やることがきちんとできていれば、後は適当でいい。そういう優先順位が明確でないから、それが翌日に食い込んでしまったりする。翌日に持ち越した時点で、すでに心の軸はずれている。一時が万事とはこういうことだ。