宮藤官九郎監督『真夜中の弥次さん喜多さん』〜解釈は1日にしてならずの巻

弥次喜多 in DEEP 廉価版 (1) (ビームコミックス)

弥次喜多 in DEEP 廉価版 (1) (ビームコミックス)

「1000円でよかった」
 昨日の映画の日、新宿歌舞伎町の映画館の座席で、エンドロールの最中に、隣の奥さんにそうささやいた。宮藤初監督作品というので期待して観に来たが、肩透かしをくらった気がした。たしかに何度か笑えたけれど、それだけかい?という釈然としない気持ちが、どんよりと残っていたから。グッとくるものがなかった。
 本当はジム・ジャームッシュのモノクロ映画を観たかったのだが、奥さんとの接点を考えて、笑える方がいいだろうと、『真夜中の〜』を選んだだけに、観終わった直後は、後悔が先にたった。だけど、しりあがりさんの原作は、手塚治虫文化賞だろうという、クエスチョンマークがふくらんだ。
「江戸はぺらぺらでつまらないから、本当のリアルを探しに行こう」と、ホモ・カップルの二人が伊勢参りに出かける。その珍妙な道中映画(ロード・ムービー)だ。
 寝る前に、少し映画のことを反すうしてみた。クドカンなら、映画という文法を蹴飛ばすことだってやるだろうし、そういう映画もあっていい。
 物語も目的地の伊勢にはたどり着かず、リアルも見出せないままでのフェードアウトだったけれど、ヤク中の喜多さんが幻覚症状の末に絞殺してしまう弥次さんを、まだ生きていると思い込むことで彼の幻影があらわれる。それはリアルなものは、自分がそう思い込むことでしか存在しえない、というメッセージとも読みとれる。が、しかし・・・、おれはグッとこなかったんだよなぁ・・・。
 翌朝、釈然としない気持ちのまま、ネット検索すると、糸井(重里)さんが映画の応援団であることを知った。情けないが、おれは動揺した。権威主義だと笑われてもしかたないが、自分のアンテナにも登録し、「ダーリンコラム」を愛読している人間として動揺した。・・・おんなじことか。
 これは原作を読んでみようと、『弥次喜多in DEEP』1巻〜4巻を購入。・・・実にとんでもない作品だった。こんな漫画、今まで読んだことない。「歴史的大傑作」という腰巻が、まんざら誇大広告とも思えない。生と死が、現実と幻想が、まるでエッシャーの絵みたいにモザイク状に絡み合っていて、読みすすむにしたがって、地に足がついていない心持ちになる。無性に次の話が読みたくなる。この物語の力は相当なものだ。
 こんな漫画を映画にしようと思ったクドカンはそれだけで凄(すご)い。考え方がそう180度変った。うん、おれは節操がないやつなんだ。しかし漫画がすごすぎる。これから何回も読んで、もう一度きちんと文章にしたい。
 ああ、原作読んでみてよかった。