『希望のニート』二神能基著(東洋経済新報社)、本日発売

希望のニート 現場からのメッセージ

希望のニート 現場からのメッセージ

 具体的なニートの知り合いもいないような専門家たちが、まるで友だちでも語るように、あれこれとニートを賢そうに分析して、小銭を稼いでいる。まったく、すばらしい話芸だと思う。
 もっぱら彼らの語る画一的でのっぺりとしたニート像にくらべると、ニートや引きこもりの若者と日々向き合ってきた二神さんの語るニート像は、多様で個別的だ。長所もあれば短所もある。そこが二神能基著『希望のニート』のウリだ。
 ニートと、ニートの親たちが、それぞれいかに孤立し、葛藤し、疎外されているのかが、二神さんの言葉であぶり出されている。それは実にいまどきな光景だと思う。そして若き二神さんが、大人たちとの出会いから何を学びとり、一人の学習塾経営者としてどんな悔恨をかかえ、一人の父親として娘を「普通の子」として育てるために、どんな試行錯誤をしてきたのかも書かれている。いわゆる高みからの評論ではなく、二神能基という人物論として一人でも多くの人に読んでいただきたい。
 一方、ぼくと同じ40歳前後の友人たちも同様に、いたずらな効率至上主義の嵐の中、職場や家庭などで少なからず孤立し、葛藤し、疎外されている。もちろん、ぼくもそうだ。つまり、ニートもその親も、みんな同じなのに、みんながバラバラに分断されている。お互いへの想像力も、尊重する態度も持てないままだ。
 そこを多少なりともつなげるために、そういう構図を本という形でプレゼンすることから始めるしかないと思う。それがぼくの仕事だ。
ニートと定年退職者という、効率主義社会から弾かれた人たちを主力とした、年収は低くても自分優先の働き方に希望を見出したい。彼らこそが希望となる社会を手作りしたい」という二神さんの考え方に、ぼくはとても共感する。それはリストラされた人や、結婚や出産で退職した女性たちにとっても、その気になればいつでも働きだせる、風通しのいい社会への出発点だろう。
「週末出勤もいとわず、年収1000万円をめざす生き方も、親の年金と、派遣社員の子どもの年収300万円で孫を育てる生き方も、同じように尊重されるべきだ」
 と二神さんはいう。そんな新たな選択肢の波紋が、少なからず孤立し葛藤し疎外されている、ぼくの友人たちの足元にまで、いつか届いてくれることを祈っている。