「希望のニート」シンポジウム・二神能基&玄田有史in 東京・教育会館

rosa412005-06-07

 今朝の毎日新聞(都内版)に、今月予定の「希望のニート」シンポ全4回の紹介記事が掲載された。(二回目以降の日程・会場は以下へ)今日はその第一回目が一ツ橋の教育会館でおこなわれた。「希望のニート」の著者・二神さんと、「ニート」(幻冬舎)の著者で、東大助教授の玄田さんの対談。参加者は100人弱。「希望のニート」は30冊超売れた。
 かけあい漫才風あり、哲学談義あり、ニートの若者像や親たちの話など、硬軟おりまぜて、なかなか聴き所の多い内容だった。二人ともサービス精神旺盛で、話し上手だから、参加者を惹きつける術は心得ている。
 印象的だった視点を紹介したい。まず、二神さんが、先のJR西日本列車事故をとりあげた部分。「亡くなった23歳の青年運転手が、JR西日本の細かい規則と効率主義のプレッシャーの中で、企業組織への過剰適応を強いられた果てに起きた惨事ではなかったのか。マスコミは企業批判ばかりに論点を矮小化させているが、そういう本質的な議論はなされていないのではないか。その対極に、学校や企業組織への不適応を示すニートたちがいる。つまり、過剰適応か不適応かという二極化、個人にその二者択一を迫るような、閉塞した社会状況があるのではないか」という視点だ。
 これは二神さん一流のビンボール(危険球)的問題提議なのだけれど、参加者の虚をつく、あるいは価値観をゆさぶる視点の提示という点では、さすが、うまいなぁと感心させられた。
 次に玄田さん。まずは「大人自身が変わろうとか変えようという努力もせずに、若者だけに『君たちは変われ』『おまえらダメだ』というのはおかしい。だって、若者たちを時に消費者として、時に安価な労働力として食いものにしているのは、まさにその大人たちだから」という視点。
 また、「『(子どもに)自分のやりたいをやりなさい』的な大人たちの寛容さが危険なのは、むしろ子どもたちを『やりたいことがない自分は、ダメなヤツじゃないか』という自己嫌悪に追い込んでしまいがちだから。いつの時代も、自分のやりたいことを見つけられる人はけっして多数派じゃない。むしろ、大人たちは『これだけはやるな』という最低限の規範をこそ伝えるべき」という視点だ。
 これは「希望のニート」の二神さんの指摘とも通底する。玄田さんは政府の審議会メンバーを多くつとめ、体制内改革をめざしていて、二神さんはむしろ、在野の中での活動を重視している。フィールドは違うのだけれど、問題意識はかなり一致する。参加者の笑い声も多く、考えさせる指摘もあり、なかなか聴き応えのある2時間だった。
 残り4回のシンポ情報は以下をクリックしてください。ぼくも後半2回の司会役、がんばります。