ペルーのミニ・ガラパゴスへの旅(1)〜砂漠と取っ組み合う生活の輝き

rosa412005-06-25

「首都リマが、砂漠の中のオアシスだということを実感させてあげるよ」
 リマ在住の考古学者で、親戚でもあるSさんはそういった。その言葉を胸に、リマから300キロ南下した場所パラカスヘ、Sさんの運転するジープで向った。パラカスでのひとつの目的は、パラカス半島の沖に浮かぶ、ペルーの「ミニ・ガラパゴス」とよばれるパジェスタ島観光。数十万羽の鳥と、フンボルトペンギン、アザラシが共存する楽園らしい。
 もうひとりの同行者Kさんは、定年後の初旅行で27年ぶりのペルー訪問。その昔、3年ほどペルー駐在生活を送っていて、当時から義母と親交があった方だ。今回、うちの夫婦と、奥さんのフラメンコ友だちTさん、そしてKさんの4人で成田を出発してきた。そして今回のパラカス行きは、40代の私、50代のSさん、60代のKさんの男三人ブラリ旅というわけだ。
 30分も走ると、砂漠めいた光景が車窓にひろがる。そもそも、ペルーは一年中にめったに雨が降らない。にもかかわらず、ペルー国内には、アンデス山脈から太平洋にむけて、全部で33本もの川が流れているという。その中にはペルー側は雨が降らないために枯れてしまったものもあれば、今なおとうとうと流れ続けている川もある。リマを南下するということは、その川から川を横断していくことでもある。
 Sさんの話で面白かったのは、その川と川の間の平野のことを、彼が「谷」と呼んでいたこと。谷というと、ぼくの感覚でいうと、山と山の間の渓谷のイメージが強いのだが、ペルーでは、川と川の間の土地を指す。
 その川が水をたたえている場合、その周辺は、その水を灌漑に活用して、コットンやグリーンアスパラ、アーティチョーク、トウモロコシやさとうきびなどの広大な畑が広がる。はじめて見たよ、黄色い花と白い綿をつけたコットンの木を。
 一方、枯れ川が近づくと、その広大な畑が急に消えて、砂漠ばかりになる。川の水がいかに肥沃な土地を作るかを、まざまざと見せつけられる。四大河川ぞいに四大文明が発達した、なんて教科書の記述を、ふいに思い出した。この光景を目の当たりにしたら、小学生だって簡単にその理屈が呑み込めたにちがいない。

 たとえば、上の写真は山をぶち抜いて道路を通したわけではなく、河岸段丘だ。つまり枯れ川の跡。今回の旅では、こんな壁に何度か出くわした。かつて河原(川底)だった部分が地殻変動などで隆起した後、川の流れで削られてできた台地である。その証拠に、車を降りてみてみると、この壁の石は川底にあったらしく、どれも一様に丸かった。日本じゃ、こんなあからさまな地殻変動跡なんてなかなか見られない。
 そして、この日誌の冒頭、右上写真を見てほしい。その枯れ川の砂を3、4mほど掘り下げたところに、畑を耕しているのを見つけた。パラカスに向う幹線道路の右脇にそれはあった。車をとめて、降りていってみると、畑の脇に深さ5mほどの井戸が掘ってある。元枯れ川だけに、地下には伏流水が蓄えられていて、それを活用して耕作している。その近くには、イチジクの木が数本植えられてもいた。
 砂漠つづきの車窓に、この畑を見つけたときに、ぼくは言葉にできないほどビックリした。そしてSさんの説明を聞いて、今度はカタカタと胸が高鳴った。広大な砂漠めいた大地に、水を存在を見ぬき、ひたすら砂を掘り進み、畑を作り上げた人の情熱と営為が、具体的な映像として、ぼくにフラッシュバックしたからだ。そこにはとても原初的な、人間の生活の原形があると思った。そうだよなぁ〜、ぼくらの祖先はそうやって、自然の只中で、創意工夫しながら生活を組み立てていったんだよなぁ。
 そんな思いをめぐらせてみると、河岸段丘が車道の壁みたいに立ちはだかる壮大な環境変化に屈することなく、今なお目の前の砂漠畑で食いものを栽培しようとする人たちの強い意志と、その生活ぶりがとてもまぶしくてカッコよく思えた。たとえ言葉が通じなくても、ハグして、握手して、エールを送りたい衝動にかられた。
 確かに、人間の存在自体が環境破壊だっていう部分は否定できない。だけどね、やっぱり、人間は凄いよ。
 東京にいると、そんな生活のカッコ良さがなかなか見えづらい。生活するだけじゃなくて、夢のある人生とか、好きな仕事とか、海外ブランド品や海外旅行とか、あれこれと人生のオプションがほしくてたまんなくなる。
 けれど、それは間違いだ。生活すること、今日の飯を食うために人が日々工夫するということは、そのための労働は、昔も今もとてもカッコイイことなんだ。その輝きはけっして色あせていない。だって本質は同じだから。まずは毎日の生活を、もっと輝かせることに力を注ぐ必要がある。
 もちろん、それは生きる智恵をきちんと働かせて生きるという意味においてなんだけね。けっしてコンビニで夕飯買って、テレビをダラダラ観て寝る生活のことではない。
 あの砂漠畑に、ぼくはそんなことを教えられた。奥さんが会社を辞めてからは、家事いっさいをほとんど彼女任せにしてきたけど、もう少し分担して二人でバランスをとろうと思う。そうすることで、彼女への感謝も日々新しいものになる。まずはそこから始めたい。