三岸節子 修羅の花〜激しくて懐深い「赤」の由来

rosa412005-07-05

 三岸さんの絵は風景と花をモチーフにしたものが多いが、やはり赤い花を描いたものがもっとも鮮烈だ。数年前、三岸さんの画文集をぼくは買っている。花こそわが命―三岸節子自選画文集。その中でも、ポインセチアか、あるいはゼラニウムか、そのディテールを潰してしまって花の形状がわからないが、その鮮烈な「赤」とも「紅」ともつかぬ色彩だけが弾けている絵が、もっともぼくの目を撃った。
 先々月、テレビで彼女の元夫(戸籍は入れていないから、事実上の)で、画家の三岸好太郎の作品をテレビで観た。付き合う女性が変わる度にめまぐるしく変化したといわれるその画風と、その絵が放つパワーに惹かれた。あふれるような才能を感じた。
 さっそく近所の図書館に行き、検索してみたが、好太郎の画集はヒットせず、その代わりに節子夫人の本や画集ばかりが数冊ヒットした。そこで仕方なく借りてみたのが、林寛子氏による聞き書きで、三岸節子『修羅の花』だった。でも、本はすこぶる面白かった。
 少し長くなるが以下に引用する。

とにかく恋愛というのは、相手からすべてを奪い尽くそうという戦いですね。菅野(好太郎の死後、婚姻届を出した画家)との時には奪い尽くしたというより、彼自身が破綻してしまいましたね。私が強かったというか、人間が強いというよりも、私の運命ですね。こういう生まれつきの運命を下さった神様に、私、非常に感謝してるんです。私に非常に強い人生を送らせて下さった神様にです。
 三岸好太郎もそれで、私に敗けて死んだんだろうと思うんです。私は別に、ただ自然に生きているだけですけれども、結局毎日の生活の中で、男の方が破綻をきたしてしまうんですね。そういう強い運命を与えられたと思うんですよ、神様から。
 さあ、そのことが幸運なのかどうか、それは私が死ななければわからないんじゃないでしょうか。果たして幸運だったのか、私は一生不幸な女だったのか、これは客観的に判断していただくしか致しかたないと思うんです。私自身はただ無我夢中で生きてきたんですから。
 当時はそんなこと毛頭考えません。毎日、毎日、生きることで必死でしたから。結果はそうなりましたけれど、私は二人の男を殺したとも、つぶしたとも、つぶそうとしたとも夢にも考えなかった。三岸好太郎が亡くなりました時、独立(画壇の会派)の画家が言ったそうです。
「あんな三岸好太郎のような獰猛な男を食い殺した女だから、三岸節子はよっぽど凄い女だろう」
 好太郎は一見、バイタリティの固まりのような男でしたから。

 率直かつ獰猛で、けれんみがなく、開放的で、突き抜けた諦観をたたえる八十歳の心境。三十歳で女好きな内縁の夫に先立たれ、三人の子どもをかかえて懸命に働き、最初の結婚は同じ画家との別居結婚で話題を集め、その夫は別の女性と再婚後に他界した。 
 上に引用したような境地に到達した画家の、ジェットコースターまがいの生の軌跡を目の当たりして、あの鮮烈な「赤」の由来がようやく垣間見えた気がする。しっかりと命を燃やして生きないと、しっかりとは描けない。
●右上写真は、リマ市内の市場(メルカド)にディスプレイされた鶏肉。まるで実もふたもなく、むき出しにされている。三岸さんの言葉みたいに。