ペルーのミニ・ガラパゴスへの旅(3)〜やる気ないようなあるようなレストランと、いい味出してるオヤジサン

rosa412005-07-09

 かなり間延びしてしまったが、今日からまとめてペルー旅話の仕上げにかかりたい。ちなみに旅(1id:rosa41:20050625)と旅(2id:rosa41:20050701)を読んでなくて、興味がある方は(id:〜)部分をクリックしてほしい。
 カニエテの慈恩寺を発ち、男三人ぶらり旅は、昼食をとるためにチンチャという町に向った。目指すは親戚のSさんのおススメ、お客のいないレストラン。だが、反政府ゲリラによるぺルーの日本大使館占拠事件で有名になった、当時の青木駐ペルー大使ご夫妻も、Sさんに引率されて舌鼓を打った店だ。
 チンチャの町はペルーというより、Sさんが言うようにボンベイめいて見えた。人の顔が全体的にインド人っぽく濃いし、大通りではミニ・タクシーみたいなオートバイ三輪車が、普通車の車列に割り込んでごった返していた。もう車線なんかクソ食らえといわんばかりの光景なのだ。(下写真)

 しかし、この大通りをすぎて脇道に入ると、いきなりゴースト・タウンみたいな光景に変わり、何の看板もない建物の前で、Sさんのジープが止まった。そこが「カマローン(川エビ)」が名物のレストラン「パティーニョ」だった。
 なぜ看板がないのかというと、昔、強風で落ちてしまってから放ったらかしだから。右上写真をみてもらいたい。よく見ると、店のある建物の屋上に大きな看板がある。だが、あの高さだと、店周辺の通行人の視界にはおそらく入らない、つまり、あっても見えない看板だった。
 ちょうど店の玄関から逆L字型になっている店の一番奥の広い部屋へ入っていくと、ぼくは苦笑せざるをえなかった。よく晴れた土曜日のお昼すぎだというのに、約20人がけの縦長のテーブルふたつはどちらも、椅子が反対向きでテーブルの上におかれていたから。そう閉店後みたいな光景だった。事前にSさんから話は聞いていたが、聞きしに勝るやる気のなさだった。

(あわててテーブルをセッティングするオヤジサンの娘婿さん) 
しかし、そんな娘婿を尻目に、なんら恥じる素振りさえみせず、この店のオーナー、エル・パティーニョさんはぼくらを歓迎してくれた(一番右上の写真の男性)。そう、店名のパティーニョは、このオヤジサンの名前。彼は川エビの養殖家でもあり、ここは川エビの産直レストランなのだ。
 まずビールを注文すると、娘婿さんが店の奥へときびすを返した。
「たぶん、近所の店からビールを持って来るんだよ。だってオレ、何回もこの店に来てるけど、いつ来てもオレたち以外のお客を見たことないし、ビール冷やしている冷蔵庫も見たことないからさ」
 Sさんが苦笑しながらそう話す。おお、お客のいないレストランっぽくてイイぞぉ〜。自分でも不思議なのだが、ここまで一貫していると、むしろそういうエピソードをぼくの身体が求め始めている。こうなったら、パティーニョおじさんが「じゃあ、ちょっくら今からエビ獲ってくるから待っててね」ぐらい言いに来てほしくなる。

 まず最初にユカ・フリータが出てきた。ユカとはペルー産タロイモ。フリータとはスペイン語で「揚げ物(フライ)」。青木大使夫人が日本帰国後も、「あの店のユカ・フリータが忘れられない」と語ったという逸品。固めだから、かなり時間をかけて揚げてあるのだろうが、この油がいい味出していて、たしかに美味しい。なんかエビのエキスでも混ぜているのではないかと思うほど濃くがある。
 後はひたすらエビづくし。川エビの揚げ物、エビのセビーチェ、そしてアロン・コン・カマローネ(エビ・チャーハン)。とりわけ、セビーチェの残りをぶっかけたチャーハンが
美味しかった(下写真)。お客がいないのに料理がうまい。このギャップが料理の味をいっそう際立たせてもいる。

 これはぼくの推測なのだが、川エビの養殖でそこそこ儲けているオヤジサンにとって、ここのレストランは副業なのだろう。この日の会計は三人で4200円。一人当たり1400円だった。
 しかしSさんの話だと、このチンチャでは200円程度で立派なランチが食べられるらしいから、ここは町内ではかなり高級レストランということになる。さしずめ都内におきかえれば隠れ家的「高級フレンチ」か。ただ、看板が見えにくいだけって話もあるんだけど。
 川エビ養殖の収入があるから、こういうレストランが悠々とできる。しかし、その200円ランチに付和雷同する気も、オヤジサンにはない。そしてお客のいないレストランで悠然としている。おそらく自ら育てたエビと、それをふんだんに使った料理に、彼はすこぶる自信を持っているにちがいない。
 自分の人生に卑屈でもなければ、疲れ果ててもいない。日焼けした精悍な顔は、実に味わい深い笑い皺(じわ)を両方の目元あたりに走らせている。若い頃は、いや今だってじゅうぶんに女性たちにモテてる気がする。そんな愛嬌と色気をじゅうぶんに感じさせる。この年代でこんな艶っぽい顔をした男は、ぼくの国にはそういない。
 極力無駄をはぶいて効率的に、睡眠時間を削って働いて、他人よりより多くのお金を稼いでいい暮らしをする人たちが「勝ち組」と賞賛される国からやってきたぼくは、この誇り高き悠然さを前に、ただただ苦笑せざるをえなかった。その昔、「人皆生を楽しまざるは、死を恐れざる故なり」って、『法然草』の作者、兼好法師こと吉田兼好も書いてるんだけどね。
「川エビの養殖技術を教えたいから、オレを東京に連れて行ってくれよ」
 別れ際、その柔らかくてつやつやした右手で、ぼくの手を握りながらパティーニョおじさんは、冗談とも本気ともつかぬ顔でそう言った。