ペルーのミニ・ガラパゴスへの旅(4)〜ホテル・パラカスから、いよいよ鳥糞の島へ 

rosa412005-07-10

 川エビで腹いっぱいになったぼくらは、インカ帝国の名残りをとどめるタンボ・コロラド遺跡をへて、夕方前、今夜の宿泊地パラカスへたどりついた。ホテル・パラカスは海に面した、南国風の洒落たホテルだった。
 幅1m超の太い幹のブーゲンビリアがからみつき、その赤紫の花を屋根代わりにしたような部屋の入口にある小さなテラスから、太平洋が見渡せる。海からの風を頬に感じながら、ビール片手に夕陽が沈むのを、男三人でぼんやりとながめた。
 翌朝、6時半起床。バイキング風の朝食をとり、8時にホテル前の桟橋から、ホテルの宿泊者など約30名が、合計4台のモーターボートに乗船し、救命胴着をつけてミニ・ガラパゴスをめざした。途中、有名なナスカの地上絵ほどではないが、ひとつの象形文字のような地上絵見物をへて、海面をすべるようにボートが走る。
 晴天で長袖シャツ一枚でも暑かった昨日と違い、気温の低い曇天の下、海上を疾走しているせいもあって肌寒い。この日はジャンパーまで着込んでの乗船だったのだけれど。

 ホテルを出て約40分ほどで、いよいよ前方の黄土(おうど)色した島(上写真)が見えてきた。今回の旅の目的、ミニ・ガラパゴス、別名”鳥糞(ちょうふん)の島”だ。
 なぜ鳥糞の島と呼ばれるかというと、写真の黄土色は、島に生息するカツオ鳥やペリカンらの糞が蓄積したせいだから。写真ではうまく伝えられないが、黄土色の島の左半分は、当初真っ黒だった。だが島に近づくにつれ、それはカツオ鳥らの群れのせいで、そう見えていたことがわかった。それほど生息する鳥の数がおびただしい。
 Sさんの話だと、新井白石著『西洋紀聞』(岩波文庫)に、来日したイエズス会の宣教師たちのもとに、新井白石が通い詰めて聞き書きした同書の中に、この鳥糞の島についての記述があるらしい。だが帰国後に探したのだけれど、岩波文庫ではすでに絶版になっていた。つまり、江戸時代の新井が聞き書きした幻の島を今、ぼくは目の当たりにしていることになる。そう考えると、どこかタイム・スリップめいてもくる。
 しかも、この島の鳥糞は配合飼料としても良質らしく、ペルー政府は飼料製造工場と船着場を島に建設し、今もなおヨーロッパにそれを輸出している。今も昔も、この島の鳥糞は外貨獲得の手段なのだ。政府が管理する鳥糞の島だから、ぼくら観光客も島への上陸はできない。モーターボートで周囲を見学するだけだ。 
 さらに島周辺は低温のフンボルト海流が流れているせいで、フンボルト・ペンギンやアザラシも、島に数多く生息している(一番右上写真に、岩にまぎれてアザラシが見える。冒頭のホテル・パラカスのHPにも英文の紹介があります)それがミニ・ガラパゴスと呼ばれる理由だ。
 ぼくがまだ小学生だった頃、『野生の王国』という野生動物の生態を紹介するテレビ番組があったが、目の前にあるのは人間が邪魔な存在でしかない、まさに野生動物の王国だった。

 つづいて上の写真をよく見てほしい。Sさんの話だと、どうやらぼくらが島にたどり着いた時間が、鳥たちの食事時間だったらしく、しばらくすると次から次へと鳥たちが一列横隊で島へ戻ってきた。まるで水平線から絶え間なく沸いてくるかのようで、さしずめ空飛ぶウナギみたいに隊列をくんで戻ってきた。また、島からホテルへ戻る途中には、カツオ鳥たちが集団で、次々と海面に突っ込んで魚を捕食する場面にも運良く出くわした。魚の群れを見つけたのだろう。
 それらの生まれて初めて見る光景に、ぼくはただただ圧倒された。それは旅(1)で紹介した、幹線道路に立ちはだかる河岸段丘跡の土砂の壁とはまた違った、圧倒的な自然のダイナミズムを堪能させられた。