ペルーのミニ・ガラパゴスへの旅(最終回)〜まぎれもない塵芥(ちりあくた)であるオレ

rosa412005-07-12

 都会の中の孤独、という言い方がある。たしかに東京で生活していると、ふいにそんなような気分になるときはある。
 だが地平線も見えなければ、ビルや家に囲まれていて、見ず知らず人たちとはいえ近くを人々が右往左往していて、自分の部屋に一人でいてもテレビのスイッチをつければ、騒々しい情報があふれ出てくるのに、「孤独」だなんて絵空事だ。
 理屈じゃなくて、それがわかった。右写真みたいに、360度見渡す限り広大な砂漠と青空、そんな二色だけの世界に立ったときのことだ。
 写真中央、気持ち左側に小さな黒い点が確認できるだろうか。それは勾配のある砂漠のかなり高い場所からぼくが見つけた、蟻みたいに移動する一台のジープだ(ぼくらのジープとは別の)。それ以外には何もない地平線と砂漠に、ぼくはすっかり取り囲まれた。
 そのとき、ぼくの遠近感はまるでゴミクズだった。たとえば、200㎞の長さを計測しなければいけないのに、ぼくの右手が握りしめているのは20㎝程度の物差しだった空しさ、とでもいえばいいか。同時に「孤独」なんていう情緒的な言葉はすっ飛んで、まぎれもない塵芥(ちりあくた)であるオレを、目の前に突きつけられた。さびしくも可笑(おか)しくもない、ただの事実として。
 下の地図を見てほしい。少し見にくいが、海岸近くの赤い●印のあるCHINCHA(チンチャ)、PISCO(ピスコ)からさらに南下すると、青森の下北半島の片側みたいに突き出しているところがある。それがパラカス半島だ。

 パジェスタ島観光のときは、その半島の付け根付近にあるホテルからモーターボートに乗り、その半島を左手に見ながら島をめざした。同じ日、今度はジープで、その半島の海沿いを走って、陸路でその半島東端にあるパラカス国立公園へむかった。

 最初はアスファルト道路をしばらく走り、その道を外れて、人や自動車に踏み固められた土の道を走った(上写真)。パラカス国立公園に入ってしばらく進むと、今度はそれも消えて、目の前の砂漠に伸びる数本の自動車の轍(わだち)きりになった。その轍をたどって、さらに勾配のある海側へ砂漠をジープで登りきった場所が、一番右上の写真を撮影した場所だ。
 ぼくはその場所で、とりあえず声をふりしぼって「おーい!」と2回叫んでみた。だが障害物がどこにもないから、こだまは返ってこない。叫ぶやいなや、かき消されていく。
 その後、所在なくそのあたりをうろうろしていたら、貝塚を見つけた。無数の貝や甲殻類の破片。丸っこい石や鋭利で薄い石などもあった。そこに布で包まれているものがあり、考古学者のSさんが、それはミイラだという。その布をめくると、砂にまじって白い骨の欠片が出てきて、「膝あたりの骨じゃないか」とSさんはいった。その少し丸みをおびた長さ4㎝ほどの骨を、ぼくは右手で握りしめてみた。気が抜けるほど軽かった。
 16世紀に滅んだインカ帝国の前に、ペルーには七つの文明が栄えた。そのひとつにパラカス文明があるとされる。Sさんの話だと、最近、パラカス遺跡から、非常に繊細なデザインの織物が発見されて、ペルー国内でも話題を集めているという。
 ぼくはふいに広大な砂漠を見渡しながら立ち小便をした。いきなり下品な展開で恐縮だが、何かしら自分がこの場所にきた痕跡をとどめておきたいと思った。今考えると、なんでもいいから、主体的に行動できる自分を確かめておきたかったのかもしれない。そうでもしないと、今にも自分が塵芥みたいに消えてなくなるんじゃないかと少し恐かった。