河合香織著『セックスボランティア』〜まがまがしく強烈な性への執着がもつ、不思議な清々しさ

セックスボランティア

セックスボランティア

 ある編集者が送ってきてくれた同書を読んだ。おそっ!昨年来、話題となっていたのは知っていたけど、とくに食指が動かなかった。読後感はすこぶるいい。
 タブー視されているものや、あまり明らかにはされていない世界に分け入り、その現実を広く世の中に知らしめて、いたずらな偏見や先入観を正す。それは本というメディアのもつ大切な役割だと思う。そういう意味で、障害者の性というテーマをとりあげ、その障害者同士の夫婦や、障害者の自慰やセックスを介助する人々の生態に迫ったこの本は、実に誠実な姿勢で取材をつづけ、その役割を見事に果たしている。
 とりわけ、セックスの話題は極私的なものだから、登場人物たちの赤裸々の言葉は、取材者の人柄と取材姿勢によってこそ引き出されているもので、誰もがこういう本を作りえたとはぼくには到底思えない。ぼく自身、ここまできちんと取材できるかどうかと自問自答すれば、かなり心もとない。
 この本でもっとも印象的だったのは、二人の障害者のコメントだ。本の冒頭に出てくる脳性マヒで、気管支切開もしている50代の男性。彼は24時間寝ている間も離さない酸素ボンベを、風俗店に行くときだけは2時間だけ死を覚悟して外すという。手も不自由で文字盤でしか会話できない彼がつづった気持ちだ。
「いき は くるしい おっぱいに こども のように むしゃぶりつくのが すき」
「(死んでしまうリスクについて)そのとき は そのとき せい は いきる こんぽん やめるわけ にはいかない」
 一方、腫瘍による頸瑞髄損傷で、鎖骨から下の感覚がないという30代の女性。彼女はセックスの介助者を利用した経験がある。鎖骨から下の感覚がないため、性的な快感はえられないが、気持ちのよくなる位置をさがすことはできるという。
「病気のこと、イケないこと。男性はわからなくてもいいんです。わかっていても知らないふりをしてほしい。支配されたりするのはイヤなんです。助けを求めたときに初めて手をさしのべてほしい」
「性欲や抱かれたい気持ちはある。男性のぬくもりが必要なんです。自分のなかで無になれる時間が私には必要。それはセックスであったり、ひとりで酒を飲むことであったり。精神をコントロールするためにセックスは欠かせません」
 性への執着ぶりを赤裸々に語る、彼らの言葉と言葉の間には、どこかブヨブヨとした人間の得体の知れない欲望がまがまがしく、しかも強烈に存在している。同時にその烈しさゆえに、どこか詩のように清々しくさえ、ぼくには感じられる。これさえ行間にたたえることができれば、小説でもノンフィクションでも成功と呼べるはずだ。
 だが同時にそれは、普段は理性という名の「言葉」で装ってはいるけれど、もう一方でぼくに息づく「動物」としての、種々雑多な欲望をかかえる「肉の塊(かたまり)」としての自分を、突きつけてもくる。
 さらに、この本によって痛感させられたのは、彼らの性への一途さを目の当たりにしたぼく自身の、性へのぞんざいさだった。それは性行為だけではなくて、相手の手をにぎることや、抱きしめることをふくめたパートナーとの関係性ということだが、それがいかに大切なことかを改めて教えられた。塵芥(ちりあくた)のような短い時間であっても、縁あって結婚した者同士、言葉でも、ただの肉の塊としても癒(い)やし癒やされる関係でありたい。