新・庭園美術館第3回(in ワタリウム美術館)〜呆れるほど微細なヒエラルキー社会の根っこ

 日本建築史の専門家による「内部空間の演出法」がテーマ。平安時代寝殿造りから江戸時代の書院造りの建築様式の変容がとりあげられた。これがすっごい微細な差別化で、最初は感心してたんだけど、後半はもう聞き飽きてウンザリさせられた。やっぱり島国文化だわ、せせこましすぎてアングリしてしまう。
 まだ、平安時代寝殿造りは許せる。基本は仕切りなしの、だだっ広いワンルームを、屏風や几帳(きちょう。他人の視線を軽くさえぎる暖簾みたいなもの)で囲いながら、当時の貴族たちが着替えや入浴、食事をとったという。その際に床板におかれた畳の縁の模様や厚さで、そこに座る人の身分差を表現した。ここまでなら、フーンでしょう。現存する建築物で当時をしのばせるのは京都御所だって。
 それが、江戸時代の書院造りになると、それぞれの部屋を壁や襖(ふすま)で仕切るようになり、屏風などが消える。その代わり、続きの間でも天井の高さ、その文様、形状で差別化する。これだけじゃない。襖絵の画題(たとえば山水画が描かれていれば高級で、走る獣なら低級だとか)、さらにはその絵の具の濃淡、あるいは金色など華やかで高い色の有無や、その画法など、うんざるするほど細かい要素の組み合わせで、部屋の主の差別化が行われていたんだって。
 その一方で、江戸時代は、火事で襖絵が消失したら、以前のコピー絵で代替して、そこだけ張り替えてたりする。安価で短時間に修復するなんて、今につづく前例踏襲主義とコスト主義だ。
 ゲゲゲッ!って感じがしません?現代のまんまじゃん!江戸時代や平安時代と現代の共通点を探ることで見えてくる、日本的なるものの根っこ、というお話でした。こういうことをきちんと目配りできる人が、当時の”デキる”人だったのかなぁ。