澤地久枝著『好太郎と節子 宿縁のふたり』(NHK出版)〜本に、そして絵に呼ばれるという体験

好太郎と節子  宿縁のふたり 
 以前、ここでも書いたかもしれない。ぼくには本に呼ばれる、という体験が度々ある。この本もその一冊だ。あるテレビ番組で、三岸好太郎という画家を知った。その節操なき画風の変容と天才ぶりを感じて興味がわいた。
 彼の妻で、同じく画家の三岸節子さんは画詞集を一冊持っていたが、好太郎の作品は観たことがなかった。さっそく近所の図書館で探したが、好太郎についてのものは一冊もなく、三岸節子さんの関連本は三冊ほどあり、その一冊を借りて読んだ。その命を燃やして生きる彼女の言葉の強さが印象的だった。
 その数週間後、乃木坂のカフェでまったりしながら、日経紙日曜日版の書評欄をひらくと、新刊として澤地さんの『好太郎と節子』が紹介されていた。これはもはや、シンクロニシティ(何らかの意味がある偶然)というしかないだろう。こういう不思議な展開を、ぼくは、本に呼ばれるといっている。
夫婦そろって画家で、31歳で夭折した夫と、94歳で天寿をまっとうした妻。その組み合わせはいかにも物語ちっくだ。生き急ぐように放蕩を繰り返し、付き合う女性がかわる度に作風を変えていったかのうような夫は、画家としての名声を勝ち取ることなく、この世を去る。 一方の妻は、フランス時代にフランスで注目され、それによって日本画壇でも名声を勝ち得た。そして50代以降に、その才能を開花させている。
 その二人の関係は、たしかに宿縁めいている。好太郎が急死したと知らせをうけた瞬間、「これで私が生きられる」と確信したという節子。だが、その妻は夫の臨終の部屋に残された、自分の顔をデッサンを「この一枚の絶筆にはあとに残した妻への思いがこめられていて、夫が画家でよかったと沁々(しんしん)味わったものである」と書き残してもいる。
 さらには、生活苦のために売った夫の絵を晩年に自ら買い戻し、妻は東西奔走の末に、北海道立三岸好太郎美術館を竣工させてもいる。
「才能に乏しく、平凡な良妻賢母型の常識家に、破目を外したどん底の生活も良夫(おっと)は見せてくれたし、女性の味わう悲嘆絶望の極限もたっぷり味あわせてくれたし、妻の感情をゆるぶるにいいだけ八方にゆすぶって、卒然と死んでいった。
 わたくしはまだ世の中から遇されることあまりに薄い、この天才の業績を尊敬しているけれども、それ以上妻に人生を教えてくれた遺産をばく大なものだと信じている。わたくしはこの良人(おっと)によって芸術というものを知った」
 もちろん、それを自らの半生の正当化と取ることもできる。ただ、やはり芸術家として互いに激しいエゴをぶつけ合った同志愛、とでもよびたくなるものをぼくは感じる。
 そして今日、神奈川県平塚市美術館で、その生誕100年を記念して、三岸節子展が、来月11日まで開催されているのを知った。ちょうど来月5日、横浜に一泊する予定があるから、そのときに少し足をのばして観てこよう。オリジナルを間近で観るのは初めてだけれど、とりわけ彼女の最後の完成作「さいたさいた さくらがさいた」と向き合うのが、今から楽しみだ。
●北海道立「三岸好太郎美術館」
●愛知県一宮市「三岸節子美術館」