生誕100年三岸節子展(平塚市美術館)〜美しい花を求めつづけた果てに

炎の画家三岸節子
 昔、曇り空の日に、うちの奥さんと花見に出かけた。人気のない神田川ぞいの桜並木を二人でてくてく歩きながら見物してたら、ふいに強い風が吹きつけたことがある。頭上の桜の花弁が一斉に舞い散り、なんか頭がトリップしかかった。一瞬ここではないどこかに連れ去られそうな気分になり、桜の妖気みたいなものの恐さをぼくは初めて体感した。
 さらってきた女の妖気に幻惑されて、次々と女を殺してしまう山賊を描いた、坂口安吾の『桜の森の満開の下』とか、西行の「ねがわくば 花のしたにて春死なむ そのきらさぎの望月の頃」など、桜を生き死にとだぶらせる小説や短歌が多いのも、たぶん桜の美しさの裏側に垣間見える、そんな恐さや妖しさのせいなんだろうなぁ、とそのときも妙に納得したことをおぼえている。
 三岸節子さんが94歳で亡くなる前年に完成させた『さいたさいたさくらがさいた』を今日観て、そのことを思い出した(グリーン部分をクリックして、展覧会の画面の下の方に絵があります)。吉武輝子著『炎の画家 三岸節子』(文藝春秋)の後半で、三岸が「桜は美しさだけでなく、その恐さも描かなくてはいけない。今なら、私にもそれが描けそうな気がする」と周囲に語った、と書かれている。
 今月11日までの彼女の展覧会では、31歳から93歳までの作品が年代順に展示されている。静物画を好んで描いた彼女の軌跡は、ホップ・ステップ・ジャンプという順序をふみながら変化していっているのだけれど、この最後の作品「さいた〜」だけが異質だ。ステップをとばして、いきなりジャンプしている。彼女の作品群の中でも、まぎれもない大傑作だ。
 その桜は、まるで曇天下の荒れて汚れた海の波頭みたいにも見えなくもない。どこか桜の白さに、黒と薄桃色が微妙に混ざりあい、じっと見入っていると、絵の奥に吸い込まれそうな気がする危うさをたたえている。あらかじめあったはずの画家の構成を飛び超えて、溢れ出てしまった、あるいは滴り落ちてしまった情念が見える。
 今回、改めて年代順にその画風の変遷を目の当たりにして、「ぴりぴりするような美しい花を描きたい」と語っていた彼女にとって、花の絵はすべて自画像だったようにぼくには思える。とりわけ、この「さいた〜」には、強くそれを感じる。
 この絵のもつ、おどろおどろしさや、得体の知れない恐さは、彼女が桜を通して対峙した彼女自身に巣くうエゴや死への恐怖、邪気と狂気、あらゆる欲望と混在して、己の中にある「美しいもの」を求めてやまない衝動を、キャンバスに定着させていると。
 美しい花を求めつづけた彼女は、その最晩年において、93歳の今なおエゴや欲望をかかえながら存在する自分の内側で、美しいものを求めてやまない、その衝動こそがもっとも無垢で、美しいということに初めて気づいたからにちがいない。
 たとえば、はだか―谷川俊太郎詩集という詩集の『うそ』という作品の中で、こんな一節がある。
「(前略)
いっていることはうそでも
うそをつくきもちはほんとなんだ
うそでしかいえないほんとのことがある
いぬだってもしくちがきけたら
うそをつくんじゃないかしら
(後略)」
P.S
明日7日から一泊二日で福岡です。飛行機が飛べば、ですけど。なのでお休みです。