アドレナリン

rosa412005-10-21

 テレビを観ながら、ジムのランニング・マシーンで走っていた。
「人間が体内で作り出せるドラッグ、アドレナリン」−身長190センチは裕にありそうな背広姿の黒人司会者が、テレビでそう喋り始めた。
「そのアドレナリンを求めて、いろいろなスポーツに取り組む人たちがいます」−彼のMCの後に、アイス・クライマーとポンド・ホッケーという、少々聞き慣れないスポーツ選手たちが登場した。
「出版社での魅力的な仕事を辞めて、年間250日くらいは戸外で、こうして氷の壁と格闘してる。年収は半分に減ったけど、人生は数倍エキサイトになったよ」
 顔いっぱいの笑顔で、20代の白人は言った。氷点下の場所にあるほぼ垂直の断崖絶壁に、水をまいて氷の壁をデザインし、そこをL字型の金具を刺しながら登っていく競技だ。一番短いタイムで上まで登った人間が勝ち、というシンプルなルール。
「こりゃ無理だろうと誰もが考えそうな氷の壁を克服しようと集中すると、何もかも忘れることができる。だって動物は住宅ローンの心配なんてしないだろう」
 上手いこと言うな、汗を流して走りながら僕は感心し、共感した。
そうだ、アドレナリンが人生最高のプライオリティ。
 アイス・クライマーは、一見おバカな競技に見えなくもない。だが野球だって、知らない人が観れば、あんな小さい球を遠く飛ばして何騒いでるんだと思うだろう?美人の棒高跳び選手にみんな熱狂するけど、1㎝世界記録を更新したからって何なのさ、とうそぶくヤツだって多いぜきっと。だいたい、スポーツなんて興味のない人間には大なり小なりその程度のもんだ。たった1㎝に興奮しているわけじゃない、その1㎝のために人生を台無しにして生きている人間の情熱の注ぎっぷりと、そんな命の燃やし方に、ぼくらは感情移入する。そしてアドレナリンを分泌する。
 どうせ80年も生きりゃ、嫌でも老いぼれてボケて死ぬ。文明なんてノイズの塊で、まるでパチンコ屋みたいだ。騒々しい軍艦マーチを奏でて人目をひいて、カネや商品で人間の劣情を刺激して、どれだけ金を巻き上げようかっていうシステムのことだろ。そんな場所で、ビジネスセレブなんて気持ちワリィ言葉に踊らされて、時間とカネを使い果たすぐらいなら、氷の壁にしがみついてアドレナリン出してる方が断然リーズナブルでチャーミングだ。
 そう思うと、走るのにもさらに気合が入った。時速10・5キロから11キロに上げて、さらに軽快に走る。歩幅はそれまでの102センチ前後から112センチ前後に広がる。規則的に呼吸して、上体の力を抜き、腕の振りを大きくして、腰の回転を使いながら、前に繰り出す腿を意識的に上げてみる。
「俺たちの仕事はゴミ集めさ。そして深夜2時まで働いて、三時間半ほど仮眠をとったら、みんなでポンド・ホッケーに出かけるのさ」
 白髪頭なのに目だけは妙にギラギラした50年配のオヤジは、材木の皮を大型カッターでひん剥く仕事をしながらそう語る。どうやらそれは草ホッケーで、しかもオヤジは平均年齢50代のチーム・メンバーだ。みんなでワイワイ言いながら、長さ1メートル、高さ25センチほどの、異常に小さい氷上のゴールめざして突進していた。
「氷の上に立つと、いくつになってもガキのころに戻れるのさ」
別のオヤジの声が、懸命にプレーするオヤジたちの映像にかぶる。
 案の定、平均年齢で20歳下ぐらいのチームに、オヤジーズは完敗する。
「勝っても負けても、ビールは同じように冷蔵庫で冷えている」
 試合後、肩で息してハアハア言いながら苦笑してるオヤジーズ一同の光景に、粋なコメントがかぶる。
「俺たちのプレースタイルには、どうやら第二ピリオドっていうのは合わねぇな」
 デブで髭もじゃなオヤジの減らず口に、みんなまだハアハア言いながらも笑ってるよ。それを観ながら走ってる僕も、汗かきかき思わず苦笑してしまう。
 どんな仕事だろうと、何歳だろうと、このオヤジたちみたいに笑ってる顔がカッコイイかどうかがすべてだ。そのテレビを観ながら、けっこう気合を入れて35分間、時速10キロから11キロでぼくも走った。それでも450キロカロリーも消費できず、それはマシーンに映った画像だと、どうやらハムエッグ・トースト1枚分にもならないらしい。顔から滝みたいに流れ出る汗を拭きながら、僕はすっかり気抜けした。だけど、そう、アドレナリンこそが。