行定勲監督『春の雪』〜李屏賓(リー・ピンビン)の映像に心惹かれた

rosa412005-11-01

「ああ〜あ、あ〜ああ、ああ〜あ、あ〜ああ、ああああああ・・・」
 そんなサビの、宇多田ヒカルのエンディング曲について、賛否両論あるようだけど、ぼくはこの悲恋物語をきちんと受け止めていてイイと思う。映画以上に、堕ちていく男と女の不条理劇を、歌詞にならない叫びのサビによって端的に表現していると。
 あとはアトランダムに書く。三島の小説とは微妙にディテールを変えながらの映画前半で、もっとも気になったのは、その「風」の撮り方。さまざまな場面で、じつにゆったりとした風が吹いていて、桜が舞い、紅葉が揺れ、雪が降る。それがなんとも心地いい。妻夫木演じる、エキセントリックな美青年が抱えこむ尖った何かまで、やわらかく包み込むかのようだ。
 あとは通常なら固定の引き画面でも、たえず、ゆっくりとカメラは移動していく。あるいは一人一人の画面では、やたらと毛穴が見えそうな接写をする。二人が並んだ画面では、あからさまにどっちかにフォーカスして、片方はボケボケで輪郭程度しか残さない。あのカメラワークはとても独特で、心惹かれた。
 ネット検索したら、香港のウォン・カーウァイや台湾のホウ・シャオシェン監督の撮影を担当した李屏賓(リー・ピンビン)だった。なるほどね。ホウ監督の『童年往事』『恋恋風塵』の、あの牧歌的な映画をゆったりと流れる風の場面が、そこでようやく『春の雪』の「風」とつながった。台湾人カメラマンの抜擢については、『春の雪』HPのブログに興味深いエピソードが書かれている。
 映画自体は、3時間超の長さを感じさせない。だが、「ここだ」っていうヘソ、歌で言う「さび」がない。うちの奥さんが言っていたように、ただ優柔不断な主人公(妻夫木)が、かつての幼馴染みが、他人の妻になりかけたことで、聡子(竹内)への想いを募らせて破綻していく話としか、多くの人には観られないだろう。子どもっぽいよ、妻夫木くんと。
 その原因は明らかだ。三島がその小説に好んで登場させる、世の中や人生にすでに倦み疲れている美少年もしくは美青年の、その高くて脆い矜持と、屈折した自意識を、映画の前半できちんと説明していないから。もちろん、それは監督としては確信犯で、妻夫木の表情で代替させたかったんだろうけれど・・・。
 劇中の妻夫木らの台詞と、意味深に挿入される妻夫木の夢のシーン、あるいはエンディングで妻夫木のモノローグで語られる「輪廻転生」と悲恋という映画の軸も、あまり観客には伝わってこない。とりあえず、ぼくは李屏賓(リー・ピンビン)の撮影作品をまとめて観てみたい。