頭と心と身体をバランス良く使って

 北海道の養豚場で2週間ほど働いてきたAさん。彼女と話していて、とても印象的だった言葉がある。
「しっかり身体使って、汗かきながら働いてると、ポッポッといいアイデアが浮かんできたんです。東京にいると、なかなか味わえない体験でした。頭と身体と心のバランスをうまくとりながら生活することを、今の自分が強く求めているんだって、よく分かりました」
 東京生まれの東京育ちで、大学卒業後につとめた商社を辞めて、写真家兼映画監督の本橋成一さんの事務所に入り、映画作りなどに携わり、多くの刺激をうけた。
 だが映画作り以上に、彼女が刺激をうけたのが、ロケ先である沖縄で、地元にしっかりと腰をおちつけて生きる人たちの確かさだった。それがお百姓さんであれ、漁師であれ、自分の生きる土地をもって、身体と頭を使って働いている人たちとその暮らしに、映画作り以上の文化を感じたという。
 たしかに「文化」というと、すぐに「映画」や「芸術」と結びつけてしか考えられないのは、それを「消費するもの」としか考えない、頭でっかちな都市住民の発想だ。文化の基本は日々の暮らしだから。
「そこまで辿りつくのに、10年もかかってしまいました。元々、私はそういうライフスタイルに密かに憧れていたのに、いろいろ自分なりに動いてきて、やっとそれを実感をもって確かめることができたんです。だから、この10年は無駄ではなくて、10年間があってこその今だとも思うんです」
 実人生での試行錯誤をへて、その人がつかみ取った言葉は、ぼくにはとてもかっこ良く響く。そして彼女は近々、新しい生活に向って踏み出すだろう。
 今週、原稿書きに追われて、運動さえせず、部屋に閉じこもっている自分を恥じた。農作業とは言わないまでも、そして都心にあっても、頭と心と身体をバランスよく使って生きることが前提としてしっかりあってこその、文章だし仕事なのに。
 で、慌てて一週間ぶりに近所の遊歩道に走りに出た。忍び寄る冬の気配を頬に感じながら、軽く走ると余計なものがどんどん身体から剥がれていく気がする。身近にあるものや、足元にあるものは、その近さゆえに見失いやすいと改めて思う。