「市中の隠」を遊ぶ〜ワタリウム美術館「庭園倶楽部」最終回

「市中の隠」という、いい言葉を教わった。室町時代に貴族の趣味であった茶道を、千利休が一般にも開放する中で、この言葉を広めたとされる。平たく言うと、「都市の日常の只中でこそ、隠居気分を満喫する遊び心」。昔、隠居は世俗を離れることの象徴で、山里に行って余生を楽しむことだった。
 だが、それよりも都市の日常の中で「山里の隠居」をとりこむ美意識にこそ、もっと価値があるというわけ。そこに茶室と茶道の新たな発展があった。都市の只中に茶室をこしらえ、そこに山里の庭木をそれぞれ植えて、茶室という異次元の空間で、世俗を断ち切り、人と人が向き合うことの粋(いき)を共有しあう。
 現代に直すと、いちいち海外旅行に行かないとリラックスできない人って実はビンボー臭いじゃん。それより慌しい日常の中で、自分なりにリラックスできる時間を30分でも創り出せる人の方が断然カッコイイよねってこと。
 茶室をしつらえた茶庭(露地ともよばれる)に、使われなくなった燈篭(とうろう)や蹲(つくばい)を最初に持ち込んだのも、利休らしい。それは本来の用途とは違う活かし方を、利休の審美眼が見抜いたということ。しかもリサイクル。それこそが日常で創り出す美意識だ。最近、花も活けてないし、お香も焚いてない。原稿のプレッシャーでどんどん心が縮みがちなときにこそ、そういうものをうまく取り込めないところがビンボーだぜ。
 全6回の「庭園美術館」が今日で全部終了。普段使わない脳をうまく使えたし、新しい知識もちょこっと増えた。これを機会に、労を惜しまず出かけて学び考えることを、ぼくも日常にうまく取り込んでいきたい。