古びない言葉、つながる言葉

 久しぶりに耳にする高音で、べらんめぇ口調の彼の言葉が、ぼくの心にビンビンと響く。
「わかることと、苦労するということは同じ意味ですよ。苦労せずにわかるってことは、知識がひとつ増えるってことにすぎない。みんな、手っ取り早く、いろんなことがわかろうとし過ぎてるよ。自分の精神を働かせていないけど、モノはよく知っている」
「なんか自分に質問してるか?憶えてばかりなんですよ。だから問いを発見したまえ。自分一人でいいから疑ってみろよ。すると心が働き出すからさ」
 いずれも新潮カセット文庫「小林秀雄講演」の「本居宣長(もとおり・のりなが)講義・質疑応答」全2巻からの引用だ。地元の図書館のHPを検索したら、小林秀雄の講演録テープがあるとわかったので、年末に5巻ほどまとめて借りてきた。昔、小林さんの講演録テープを1巻だけ買ったことがあって、それを年末に聞いてみたら、他のテープも聞きたくなった。
 これは昭和53年8月の熊本県阿蘇での講演だけれど、内容は古びていない。というか、何事につけ思考停止の気配が強まる中で、小林さんの言葉はますます鮮度を増している。もちろん、ぼく自身にとってもそうだ。
 面白いことに、今日付けの東京新聞で作家の高村薫さんが、インタヴューでこう語っている。(小泉政権の結果、私たちが手にしたのは翼賛政治。だれも文句をいわない)という発言の後だ。
「それは複雑なものを、努力して広く眺めようとしなかった私たちの怠慢の結果です」
「まず一人になる時間をつくることから始めるべきです。テレビも消す。世の中にあふれている情報から、離れる時間をつくる。一人になれば、何かを考える。活字を読もうとする。社会を眺めようとしても、パッと答えは見つからない」
 古びない言葉、つながる言葉。そんな言葉に出会えたことから、ぼくの2006年は始まります。