植田正治展『写真の作法』〜高さ地上3センチのリアリティー(1)

植田正治写真集:吹き抜ける風 
 ありそうでいて、じつはない。そういうものに人は新しさを感じる。それが、まるでありそうにないものだと、嫌悪感や違和感が強すぎてしまう。そのさじ加減は微妙だ。
 植田正治という名前を知っている人は、「あの、砂丘に家族や人が写ってるモノトーンの写真」というイメージが強いと思う。ぼくも初めて「砂丘シリーズ」を観たときに、とてもモダンでカッコよく感じた。日本のはずなのに日本じゃないようで、ちょっと魔法にかけられた気分だった。
恵比寿の都写真美術館で植田さんの展覧会を観て、1930年代から1990年末までの長いキャリアを持ち、その間、じつに多様な作品を残していたことを知った。
 あの砂丘シリーズは1950年から始まる。それまでは、彼が写真館を構えた鳥取県境港市で、地元の風土とそこで暮らす人々をモノトーンで、陰影を際立たせながら絵画的に撮影していた。
 それが砂丘という背景を多用することで、その地元の風土がもつ生活観が消えさり、より無機質な抽象度が強まった。砂丘にモデルとして立つ地元の人たちも、砂丘によって漂白されて「モノ」化した。境港のおばちゃんや子どもたちのはずなのに、それが植田さんの演出によって「物語の住人」に見える。一見どこかにいそうで、じつはいない人たちになった。
 その現実とのズレ加減が、その「絵画的な写真」ぶりが、彼の作品の新しさだった。さらに、砂漠という背景とモノトーンという色調で切り取られることで、海外から評価される普遍性を手に入れた。だから砂丘シリーズは、初めて観たとき同様、今日観てもモダンでかっこいい。(つづく)