植田正治展『写真の作法』〜高さ地上3センチのリアリティー(2)

植田正治 私の写真作法
 背景の喪失―植田さんの「砂丘シリーズ」がモダンでかっこいい半面、ぼくの心を少し傷つけるかのように引っかくのは、その砂丘が消し去った「背景」について想うからだ。
 1963年に大阪府で生まれた僕が小学校に上がる頃、つまり70年代に入ると、うちの近所の水田や沼地はどんどん埋め立てられていった。ガキンチョのぼくが、アメリカザリガニやフナを盛んに釣り上げていた沼地や、トノサマガエルなどを捕まえていた水田は、住宅地へと様変わりした。それは経済成長の「賜物」だった。
 おそらく全国で同じような変貌が起こっていたはずだ。その代わりに間口が狭く、車庫さえない二階建ての「文化住宅」(なぜか当時の大阪では、そんな奇妙な名前でよばれていた)の群れが出現した。子どもたちの大切な遊び場所を奪い、街の風景を大きく変容させたという意味で、70年という年は大きな転換点だったと想う。
 「砂丘シリーズ」が撮影されたのは1950年前後だ。そんな変貌より20年も前だから、時間的な因果関係はない。
 しかし、それ以前の彼は、自身が暮らす鳥取県境港の人々の、「戦後」が匂い立つような暮らしぶりを、ブレッソンみたいにエッジの効いたモノクロで撮影していた。そこには土地固有の「背景」がしっかりと息づいていた。それが「砂丘シリーズ」では一転し、土地固有の暮らしという「背景」を覆い隠し、消失させたように見える。
 もっと言えば、同シリーズは以降、私たちの社会がそれぞれの土地固有の背景を消失させると同時に、全国どこでも、あらかた均一な風景しか持たなくなる社会を暗示していたように思えて仕方がない。
 あれから50年。大都市圏では、家は帰って寝るだけの場所になり、地域社会は隣に誰が住んでいるのかもわからない場所へと、さらなる変貌をとげた。そこではニートや老人たちは部屋にひきこもり、子どもたちが路上でその命を狙われている。
 人々が砂丘に所在なげに立ち尽くし、写真家にポーズをつけられて、それぞれ別々の方向を見つめる「砂丘シリーズ」は、撮影から50年以上過ぎたいまも、ありそうでない現代のリアリティーを保ちつづけている。